「本来の面目」、「本当の自分」とは
何であろうか。
松原泰道先生は、よく坐禅の
「坐」という字を見なさいと言われた。
「坐」という字は、土の上に人を二つ書く。
これを松原泰道先生は、
「坐るという字に二つ人がいる、
一つは感情のままに流されてしまう
弱い自分であり自我である。
もう一つの人は、この弱い自分、
感情のままに流されてしまっている自分を
冷静に見据えるもう一人の自分なのだ」
と教えてくださった。
そして、坐禅というのは、
この自分の中にいるもう一人の自分と
出会うことことなのだと説かれた。
──『致知』連載「禅語に学ぶ」より
横田南嶺(鎌倉・円覚寺管長)
何であろうか。
松原泰道先生は、よく坐禅の
「坐」という字を見なさいと言われた。
「坐」という字は、土の上に人を二つ書く。
これを松原泰道先生は、
「坐るという字に二つ人がいる、
一つは感情のままに流されてしまう
弱い自分であり自我である。
もう一つの人は、この弱い自分、
感情のままに流されてしまっている自分を
冷静に見据えるもう一人の自分なのだ」
と教えてくださった。
そして、坐禅というのは、
この自分の中にいるもう一人の自分と
出会うことことなのだと説かれた。
──『致知』連載「禅語に学ぶ」より
横田南嶺(鎌倉・円覚寺管長)
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拳立て八回です。
押忍 石黒康之
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