プロフィール

2017年10月16日月曜日

千日回峰行

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塩沼亮潤大阿闍梨の講演会録より
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いまでも一番苦しかったと思うのは、
10日間高熱と下痢が止まらず、
体が10キロ以上痩せた時です。
495日目、とうとう一時間ほど
寝坊をしてしまいました。

高熱の中ふらふらになりながら滝に入り、
着替えをしてなりふり構わず山に向かいました。
しかしついに力尽きて、両の手に水を持ったまま、
地面に体を打ちつけました。

「ここで終わりか」

その瞬間、耳に響いた言葉がありました。


「どんなに苦しくても、砂を噛むような思いをして
 立派になって帰ってこい」


高校を出て仙台から出発する前、
母に言われた言葉でした。

私が幼い頃から母は心臓病を患い、
貧しくとも自分を育ててくれた。
私が中学校の時離婚し、
女手一つで祖母と私を養ってくれた。

自分が18歳になった時、行に行くその日、
「こっちのことは心配するな」と言い、
「おまえの帰る場所はない」と
私の食器をすべてゴミ箱に投げ捨て、
気丈に送り出してくれた。

様々な思い出が数分の間にかけめぐります。

体はボロボロ、高熱が出る。

その時点でいつもの2時間は遅れておりました。

でもそこから死に物狂いで走り続けて、
山頂に到着したのはいつもと変わらぬ午前8時半
体から湯気が出ておりました。

私はどんなに辛くても
人の同情を買うような行者では
行者失格だと言い聞かせ、
人前では毅然としていました。
山中ですれ違う人からはみな
「元気そうやねぇ」と言われました。
その舞台裏は誰も知りません。

でもそれでいいのです。

誰に見られるということを意識せず、
野に咲く一輪の花の如く、
御仏に対して清く正しくありたい。

苦しみの向こうには
何があるのだろうと思っていましたが、
そこにあったものは、感謝の心ただ一つでした。

ついに明日で満行という日を迎えた時、
9年間を振り返って、行きたくないなと思った日は
一日たりともありませんでした。
これが私が神仏に守られた一番の理由だと思います。

もしこの身体に限界がないのならば、
永遠に行が続いてほしい。
紙切れ一枚で「大阿闍梨」という称号を
いただくよりも、いまの心のまま、
最後の一息まで「人生生涯小僧の心」で
ありたいと思いました。



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押忍!

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