福井県霊泉寺住職、南直哉氏の心に響く言葉より…
人は、「他人の海」で生きなければならないのですから、ストレスや葛藤がないわけがありません。
感情に左右されないほうがいいと思っている人は多いかもしれませんが、感情が揺れたり乱れたりするのは当然です。
大事なのは、その波に巻き込まれたり、流されたりしないようにすることです。
つまり、感情が「心」という器からこぼれさえしなければいいのです。
「不動心」という言葉があります。
これは私に言わせれば、何があっても岩のように動かない心のことでも、まったく波立たない水面のように静かな心のことでもありません。
生きているうちは、そんな心を持つのは無理な話です。
喜怒哀楽がなければ、死んでいるのと同じですから。
私が考える不動心とは、揺れてもいいがこぼれない心のこと。
ヤジロベエのようにゆらゆら動いたとしても、軸は一点に定まっている心のことです。
ヤジロベエはどんなに大きく揺れても、決して台から落ちません。
見事なものです。
不測の事態に動揺したり、理不尽な目に遭って怒りがこみ上げたりしても、しなやかに揺れて、またスッと元に戻る。
言い換えればそれは、平均台の上をバランスをとりながら歩くような感覚に近いかもしれません。
自分が決めた道から外れなければいいのですから、その間でなら、揺れてもまったくかまわないわけです。
なぜ人が、感情に翻弄(ほんろう)されるかといえば、根本的に認識を誤っているからです。
感情の問題の十中八九は、ものの考え方と見方の問題です。
事態を正しく認識していれば、いったん感情が乱れてもそれに翻弄されることはありません。
感情の波に飲み込まれているときは、自分の中の何かが判断を誤らせています。
認識を誤らせるのは、自分の立場やプライドを守りたいという気持ちかもしれません。
あるいは、ひとつの観念に執着しているからかもしれません。
それをあらわにするには、いったんテクニカルに感情を止めればいいのです。
感情の流れをいったん遮断(しゃだん)するテクニックを知っていれば、ヤジロベエのように揺れても戻る不動心を培うことが可能なのです。
『禅僧が教える 心がラクになる生き方』アスコム
南氏は、本書の中で「感情の流れをいったん遮断するテクニック」についてこう書いてある。
『頭で渦巻いている感情や思考は、自分の意思で止めようと思って止まるものではありません。
感情や思考の動きを鎮静化させ、意識の方向を切り換えるためには、体のほうから感情をコントロールするテクニックが必要なのです。
僧侶としては、まず座禅をおすすめします。
ただ、日常生活の中で思考や感情をいったん遮断して、クールダウンする気軽なやり方もあります。
感情からいったん降りて、「平場(ひらば)」に戻す方法です。
たとえば、散歩する、昔の愛読書を読む、お茶をじっくり味わう。
食事をひとりで味わって食べる、肌の感覚に意識を向けながらお風呂に入る。
そういったことを行うと、思考や感情の揺れ静まります。
意外かもしれませんが、草むしりや雪かきなどの単純労働も役立ちます。
単純な肉体労働を繰り返すと感情の起伏が収まり、クールダウンしやすいのです』
『陽明学の教えの中に「天下のこと万変といえども、吾がこれに応ずる所以は喜怒哀楽の四者を出でず」とある。
どんなに世の中が激しく移り変わろうとも、喜怒哀楽の四者を大事しておけば生きていけるということである。
陽明学は学問、政治すら喜怒哀楽が要(かなめ)であると言っている』(行徳哲男)
喜怒哀楽を表に出さないのが出来た人間であり、悟った人間だと思う人がいるが、それではただのロボットと変わない。
蘇東坡(そとうば)が言ったように、「仏もまた一個有血的男児」だからだ。
仏には、ふつふつとたぎるような熱情がある。
逆に言うなら、冷めている人間はサタンだからだ、と行徳師は言う。
感情の流れをいったん遮断(しゃだん)するテクニックを身につけたい。
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押忍
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