ところが、私の考えでは、われわれ人間は
自分がここに人間として生をうけたことに対して、
多少なりとも感謝の念の起こらない間は、
真に人生を生きるものと言いがたいと思うのです。
それはちょうど、たとえ食券は貰ったとしても、
それと引き換えにパンの貰えることを知っていなければ、
食券も単なる一片の紙片と違わないでしょう。
(中略)
しかも人生の意義を知るには、何よりもまず
このわが身自身が、今日ここに人間として
生を与えられていることに対して、
感謝の念が起こらなければならぬと思うのです。
しかるにこのように人身をうけたことに対する
感謝の念は、昔の人が言った
「人身うけがたし」という深い感懐から
初めて発して来るものと思うのであります。
しかるに、自分がこの世の中へ人間として生まれて
来たことに対して、何らの感謝の念がないということは、
つまり自らの生活に対する真剣さが薄らいで来た
何よりの証拠とも言えましょう。
というのもわれわれは、自分が自分に与えられている、
この根本的な恩恵を当然と思っている間は、
それを生かすことはできなからであります。
それに反してそれを「辱(かたじけな)い」と思い、
「元来与えられる資格もないのに与えられた」
と思うに至って、初めて真にその意義を生かす
ことができるでしょう。
自分は人間として生まれるべき何らの功徳も
積んでいないのに、今、こうして牛馬や犬猫とならないで、
ここに人身として生をうけ得たことの辱さよ!
という感慨があってこそ、初めて人生も真に
厳粛なものとなるのではないでしょうか。
───第二講/人間と生まれて
修身教授録
森信三
致知出版社様メルマガよりシェアさせていただきました。
押忍
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