年齢に込められた意味を知る
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中国古典に「曲礼」(きょくらい)という
『礼記』の一篇があります。
「曲」というのは「くわしい」という意味です。
その「曲礼」の中に「年齢」のことが書いてあります。
人生まれて10年を「幼」という――学ぶ。
(教えを受ける年齢ということです)
20を「弱」という――冠す。
(冠をつける年齢だということです。
「弱冠」というのはここからきたようです)
30を「壮」という。
40を「強」という。
50を「艾」(がい)という。
60を「耆」(き)という。
70は「老」という。
80、90を「耋」(てつ)という。
30代はエネルギーが旺盛です。まさに壮です。
40になると、それがさらに強くなる。
50は「艾」(がい)。
艾というのは、頭に白いものが
まじってくるという意味のようです。
ごま塩頭というやつですね。
ただ、艾には、刈りとるという意味もあるようですが、
30代、40代は意気盛んである故に、
いろんなムダなものをつけている。
そういうムダなものを取り去り、省いていく――
そういう年齢だということだと思います。
そして60は「耆」(き)。
これがおもしろいですね。「老」の上の字に
「旨」で「き」といいます。
「旨」というのは「うまい」ということです。
「うまい」というのは、あまいとか酸っぱいとかという
単純な味ではない。
5つの味をミックスした、
たとえようのないデリケートな味のことをいいます。
だから、これに手ヘンをつけると、
「指」――指というのは独得のデリケートな働きをしますね。
魚ヘンをつけると、「鮨」――独得のうまい食物です。
つまり、「耆」というのは、
人生のあまいもからいも、あらゆる体験を通して、
なんともいえない人間の風味がでてくる年齢だということです。
この伝でいえば、60代は人生の黄金期といえそうですね。
70は「老」。これは「老い」という意味もありますが、
「練れる」「熟する」という意味もあるのです。
「耆」がさらに練られ、熟していく年齢です。
そして、80、90は「耋」。
「老」――すなわち「練」がさらに至るということです。
こう考えると人間の一生は楽しいものです。
「曲礼」が教えるように、年を取りたいものです。
そのためにも「修養」です。
『致知』を通じて、人間学の学びを共に深めていきましょう。
ちなみにこの「曲礼」のことは伊與田覺著
『「人に長たる者」の人間学』に出ています。
この本は私の座右の書です。
古典を語ってこれほどおもしろい本は
なかなかありません。
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目 次
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【第1講】成人と人間学――物をつくる前に人をつくる
【第2講】小人の学――『小学』を読む
【第3講】大人の学――『大学』を読む
【第4講】人間の天命――五十にして天命を知る
【第5講】人間の真価――君子固より窮す
【第6講】恥と日本人――己を行うに恥あり
【第7講】弘毅と重遠――士は以て弘毅ならざるべからず
【第8講】君子とは何か――君子はその能無きを病う
【第9講】道理のままに生きる――死生命あり、富貴天にあり
【第10講】中庸の道を往く――中和を致して、天地位し、万物育す
【第11講】孤独と不安――人知らずしてうらみず、亦君子ならずや
【第12講】『論語』と現代――『論語』を活かして生きる
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いまも語り継がれる伝説の講話
『論語』講義の最高峰
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『「人に長たる者」の人間学』
伊與田覺・著
致知出版社様メルマガよりシェアさせていただきました。
押忍
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