「蓮の花」のお話です。
_______
蓮の花というのは大変に霊格が高いものであるらしいのです。
私自身、蓮の花に興味があって10年ほど観察を続けていますが、蓮の花は泥水が濃ければ濃いほど、つまり汚れていればいるほど大輪の花として咲きます。
水が真水に近ければ近いほど、きれいであればあるほど、蓮の花は小さくしか咲かないように思います。
つまり、人間の苦しみ・苦悩・煩悩という泥水によって、蓮の花(これは悟りのことなのでしょうが、大きな悟り)が得られるということを示しているのに違いありません。
蓮の花は、それゆえに泥水の中から立ち上がってくる。
その花を見て、人々は勇気づけられ、力を得るのです。
そのために蓮の花は存在しているのかもしれません。
人を勇気づけ、どろどろ、ぐちゃぐちゃになった状態でもいい、そこから立ち上がってくること、その悩み苦しみ・苦悩・煩悩が濃ければ濃いほど、泥水が濃ければ濃いほど、美しく大きな花を咲かせるということを宇宙は示したいのかもしれないのです。
生きる大事 死ぬ大事 小林正観 著 イースト・プレス
_______
蓮の花は、水が汚れているほど美しく大きな花を咲かせる。
人間も、苦労を重ねてきた人や、中々報われない人、もがいて苦しんでいる人、大きな悲しみを背負った人などがやがて、大輪の花を咲かせているのではないでしょうか。
キレイな水、つまりキレイな環境で何不自由なく育ててもらって、障がいや苦労を親が取り除いて育ったとして、その花が力強く咲くとは思えません。
親や上司の役目は、困難や障がいに挑む勇気づけをすることです。
"相田みつを"さんの「いのちの根」という詩をご紹介させていただきます。
「なみだをこらえて
かなしみにたえるとき
ぐちをいわずに
くるしみにたえるとき
いいわけをしないで
だまって批判にたえるとき
いかりをおさえて
じっと屈辱にたえるとき
あなたの眼のいろが
ふかくなり
いのちの根が
ふかくなる」
そうやって人は成長していくのでしょう。
今が泥水の中だと思うのであれば、それはまさに成長に欠かせないものに触れているということです。
大輪の花を咲かせ、いのちの根がふかくなるときですね♪
※魂が震える話より
シェアさせて頂きました。
押忍
0 件のコメント:
コメントを投稿