■「母と娘に起こった奇跡」
村上和雄(筑波大学名誉教授)
(村上)
2005年4月に起きたJR福知山線の脱線事故で、順子さんは重傷を負いました。事故発生から約5時間後に意識不明の瀕死の状態で助け出され、病院に担ぎ込まれたときには自発呼吸も止まっていました。ご家族は医者に「もうだめです。諦めてください」といわれたそうです。
しかし順子さんのお母さんは、「まだ娘は死んでいない」と必死に看病されました。事故から一か月ぐらいたったとき、お母さんは、たまたま私のラジオの放送を聴かれました。そこで私は心と遺伝子の話をしており、明るく前向きで「陽気な心」がよい遺伝子のスイッチをオンにして、生命力を活性化することは十分考えられると語ったのです。
「あなたの思いが、あなたの遺伝子の働きを変えますよ」
という私の言葉に、お母さんは元気づけられ、順子さんの枕元で、「順ちゃん、順ちゃん、奇跡を起こそうよ」と励まし続けました。
その思いが通じたのですね、意識が戻ったのです。やがて手を握り返し、言葉を発し、笑うようにもなって、順子さんは一年後に退院しました。食事も口からとれるようになり、やがて車椅子に乗って私の講演を聴きに来られるほど、元気を回復しました。
母親の思いと、その娘さんの決心によって、まさに奇跡的なことが起こったんです。
その奇跡の要因は、私の言葉でいえば、
「明るい」、「前向き」、「笑顔」
といったポジティブなストレスです。母と子の間の「陽気な心」が生命力の遺伝子をオンにして、彼女を信じられないほどの回復に導いたのです。
致知出版社様メルマガよりシェアさせていただきました。
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2005年4月に起きたJR福知山線の脱線事故で、順子さんは重傷を負いました。事故発生から約5時間後に意識不明の瀕死の状態で助け出され、病院に担ぎ込まれたときには自発呼吸も止まっていました。ご家族は医者に「もうだめです。諦めてください」といわれたそうです。
しかし順子さんのお母さんは、「まだ娘は死んでいない」と必死に看病されました。事故から一か月ぐらいたったとき、お母さんは、たまたま私のラジオの放送を聴かれました。そこで私は心と遺伝子の話をしており、明るく前向きで「陽気な心」がよい遺伝子のスイッチをオンにして、生命力を活性化することは十分考えられると語ったのです。
「あなたの思いが、あなたの遺伝子の働きを変えますよ」
という私の言葉に、お母さんは元気づけられ、順子さんの枕元で、「順ちゃん、順ちゃん、奇跡を起こそうよ」と励まし続けました。
その思いが通じたのですね、意識が戻ったのです。やがて手を握り返し、言葉を発し、笑うようにもなって、順子さんは一年後に退院しました。食事も口からとれるようになり、やがて車椅子に乗って私の講演を聴きに来られるほど、元気を回復しました。
母親の思いと、その娘さんの決心によって、まさに奇跡的なことが起こったんです。
その奇跡の要因は、私の言葉でいえば、
「明るい」、「前向き」、「笑顔」
といったポジティブなストレスです。母と子の間の「陽気な心」が生命力の遺伝子をオンにして、彼女を信じられないほどの回復に導いたのです。
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