【鰻屋が休みだったとき】
竹村健一氏の心に響く言葉より…
日下公人さんと渡部昇一さんと運についてラジオ番組をやった後で、近くで食事をしようということになり、鰻(うなぎ)を食べようと店に行ってみた。
ところが、たまたまその日は鰻屋が休みだった。
すると、渡部さんが「今日は運がいいぞ」と言う。
普通ならば、「ついてないな」と思うところだろうが、「おかげで鰻よりいいものが食える」とわれわれは考えたのだ。
探してみたら、シャレた中華料理屋があったので、そこに入った。
初めて入った店だったが、「今日はうまいものが食えるはずだ」と、フカヒレの姿煮などを注文してみた。
結果的には、安くておいしかったので、みな大喜びであった。
もし、はじめに鰻をたべようとしていたのに、店が閉まっていたので、がっがりして、「今日はついてないな」と考えたら、次においしいものをたべようという前向きな姿勢につながらなかっただろう。
鰻が食べられなくても、それは有り難いこととして解釈したからこそ、おいしい中華料理を食べることができた。
この渡部さんではないが、私もまったく同じ考えである。
たとえば、サラリーマンであれば、時には窓際に回されることもあるだろう。
そんなときに、ただ自分の不運を嘆いたり、後悔するのではなく、仕事はあまりせずに給料をもらえることを幸運と受け取ればいいのだ。
つまり、一見すると不運に思えることであっても、自分の考え方次第で、幸運に変えることができるのだ。
すべていい面だけではない。
いい面があれば裏返しに悪い面、いやな面があるものだ。
暗い人、悲観的な人は、そういう否定的な面ばかりを見てしまう。
しかし、反対に、いい面を見て、感謝するようにすれば、ものごとはスムーズに進むものだ。
それを否定的な面ばかりを受け取って、不平不満ばかりを言っていると、さらに悪い面ばかりが強調されてしまう。
それでは、幸運の女神に好かれるどころか、みすみす幸運の女神に嫌われることになるのだ。
『幸運の女神に好かれる法』青春出版社
将棋界における運の研究の第一人者である、米長邦雄氏はこう語っている。
「『勝利の女神に好かれる』方法とは、『笑いと謙虚さを持ち合わせているかどうか』。
ねたみ、ひがみ、そねみ、恨み、こういった暗い気持ちにとらわれるような暗い人は、女神には好かれない。
逆に、好かれるのは、ものごとを楽観的にとらえる人」(以上、本書より要約抜粋)
運がいい人は、一見すると不運なできごとに出合ったとき、その中から「運がよかった」ことをとっさに探すのが上手だ。
たとえば、道路で滑って転んでしまったとき…
「(服は汚れてしまったけれど)この程度で済んでよかった。ケガもしなくてラッキー!ありがたい」
つまり、限りなく謙虚であるということ。
そして、どんなにひどい状況になっても、激高せず、感情的にもならず、ニッコリ笑って対処できる人は、冷静に物事を解決できる。
自分を客観的にながめることができなければ、ユーモアを発することはできないからだ。
「鰻屋が休みだったとき」
怒らず、ニッコリ笑って…
勝利の女神に好かれる人でありたい。
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押忍!
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