【愛すればこそ決して見てはいけないものが】
夫婦間や恋人間で見てはいけないものは【ある?】【ない?】
その象徴的なものがケータイ。
これに似た話が古事記の中にもあります。
日本の国土と人間を生んだと言われるイザナキ(男神)とイザナミ(女神)
2人は性別を持った最初の神様です。
つまり、この2人により愛というものが生まれました。
2人は誘い合い、愛し合うのですが、イザナミが火の神を産んだ時、火傷して死に黄泉の国に行ってしまいます。
イザナキは妻と別れたくなく、黄泉の国まで妻を迎えに行きます。
イザナキは扉の外で妻に戻って欲しいと声をかけます。
しかし、こちらの食べ物を食べたので、もう地上へは戻れないという。
それでもなんとか戻ってくれとお願いします。
ではなんとか黄泉の国の神々にお願いしようとイザナミは答えます。
しかし、本当に連れ戻したければ黄泉の国の神々を殺してでも連れて帰れたはずです。
イザナキはイザナミの愛を確かめたかったのです。
しかし、イザナミは一向に出てくる気配がない。
もしや男でも出来たのか?
俺の事を忘れてしまったのか?
イザナキはいても立ってもいれなくなり、約束を破って中を覗いてしまいます。
そこには全身にウジが湧いたイザナミの姿があったのです。
イザナキは驚き、音を立ててしまいます。
その音に気づいたイザナミは自分の醜い姿を見られたことに気づきます。
私の言葉を疑い。
見せたくない姿まで見られた。
それも1番見られたくない愛する人にイザナミの怒りは収まりませんでした。
イザナミはイザナキに悪魔を放ちます。
イザナキは恐ろしくなりその場を逃げ去ります。
悪魔を振り払うとイザナミ自ら追いかけて来ました。
イザナキは桃の木から桃を投げつけ、黄泉の国の入り口を石で塞いで難を逃れたのです。
そして、イザナキはイザナミと別れることを告げます。
イザナミは激怒し、お前の国の人間を1日千人殺してやる‼︎と
ならば俺は1日千五百人産んでやる‼︎と
この時、生と死が生まれたのです。
この話から分かるように、愛し合えばこそ、見られたくないこと、勘ぐられたくないことがあり、ここを疑われれば、それは裏切りに値し、人は許せなくなることを示しています。
特に女性は死んでも尚、最後の印象を美しく終わらせたい。
だから、死化粧があるのです。
愛すればこそ、見たい気持ちも分かるが、愛すればこそ見てはいけないものもあるのです。
相手の気持ちを尊重するのか?
自分の気持ちを満たすのか?
その行為は欲情なのか?愛情なのか?
その行為によって自分自身が問われることになります。
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押忍!
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