【人間は70%で最高、完ぺきは無理】
斎藤一人さんの心に響く言葉より…
外国で、神さまというと、ただ一つの絶対的なる存在なんです。
オールマイティ、なんでもできる、万能なんです。
そういう完璧な存在を「神さま」としてあがめます。
それと比べると、日本の神さまというのは非常にユニークですね。
日本の神さまには、得手不得手があるんです。
「そんな、自分たちと変わらないようでは、神じゃない」
そう思った人もいるかもしれませんが、そこが実は違うんです。
日本の神さまは得手不得手があるからこそ、自分に苦手なことは「あの人に頼むといいですよ、あちらへどうぞ」と言うんです。
もしくは、一つの神社のなかに、もう一つ、別の神さまがまつられているんです。
だから神さまは自分の苦手なことについては「私は苦手だから、この人がいいよ」って。
日本の神さまのなかでは、ちゃんと役割分担が決まっていて、神さまたちはどっちがエライか、白黒はっきりさせたりしないんです。
そういう神さまだから、日本では宗教戦争とか、なかなか起こりづらいのです。
「ウチが正しい」「いや、ウチが正しいんだ」という言い争いになってしまうのは、お互い、自分たちの神さまがただ一つの絶対的なる存在だと思っているからじゃないかなと思います。
スサノオさんも、「スサノオは周りじゅうをぶっ壊すじゃないか」って言われちゃうけど、嵐を起こして"気"を混ぜて戻してくれるでしょ。
スサノオさんはスサノオさんで"いいもの"を持っているのです。
雷は「いなづま」ともいいます。
稲の妻と書いて「稲妻」なんですけど、読んで字のごとく、「雷がどんどん鳴ると稲の育ちがいい」とか、「雷の落ちたところはキノコがたくさん生える」とか、昔の人はよく言っていたのです。
最近、そういうことが科学的にも証明されてきて、人工的に雷(高圧電流)をピッピピッピってすると、シイタケとか、カイワレ大根とかの収穫量が増えることがわかってきたそうですよ。
昔の人は、科学は知らないけれど、自然とともに生きてるなかで自分たちが雷の恩恵にあずかっていることをちゃんと理解していたんですね。
日本人はね、昔から、雷とか、嵐、火山とか、自然のもの、一つひとつを崇拝するんです。
山の神さま、風の神さま、海の神さま、神羅万象に神を見るんです。
このような見方を、人に対してもできるといいよね。
目の前に出てくる人、出てくる人、みんな神さまだっていう見方を。
とくに自分自身に対して、そいう見方ができると、すごくいいと思うのね。
いいところもあって、悪いところもある"自分"という存在が神さまぐらい、素晴らしいと思えたら、こんなに幸せなことはないよ。
こんな悪いところがある、あんな悪いところがある、そんなことばっかり自分自身に言っていると、自分のことが好きになれなくて、苦しくなってきちゃうからね。
みんなね、「自分はこれとこれが苦手で」とか、「できなくて」とかって言うんだけど。
苦しんでる人はね、みんな、自分の欠点がゆるせないの。
ゆるせないのは「完ぺきじゃなきゃいけない」と思わされて育ってきちゃったからなんです。
人間は70%で最高、完ぺきは無理なんです。
「完ぺきなフリ」をする人がいるだけなの。
それと、あなたの周りにも完ぺき主義者っていますよね。
完ぺき主義者は嫌われるんです。
なぜ、嫌われるかというと、失敗、間違いを全部、他人のせいにするからなんです。
それをする以外、完ぺきはありえないから。
だから、周りの人が迷惑する。
だから、嫌がられるのです。
それでね、とくにいろんな才能のある人にはね、いろんな欠点があるの。
自分の周りをよーく見てごらんなさい。
ホントにそういうもんですよ。
地球と同じでね。
ある場所がうんと出っぱっている人はね、それの反対側が凹んでいて、でこぼこをすべてならすと、全員、総面積は同じなんです。
何かが図抜けてできる人は、何かが図抜けてできない。
逆に、とくにこれといって取り柄(え)のない人というのは、まんべんなくできて、ちゃんと食べていける。
ホント、そうなんです。
毎日、会社に行って、雨が降っても、風が吹いても、ちゃんと会社へ行って、ちゃんと仕事をして、サラリーマン生活を何十年と続けていて、っていう、それが取り柄なの。
この「図抜けたところがない」ところが、その人の取り柄なんです。
そうやって、この世の中はうまくバランスがとれているし、各自、人生ってうまくできているんです。
『斎藤一人 悩みはなくせる』(斎藤一人&舛岡はなゑ)PHP
斎藤一人さんは、こう語る(本書より)
「スサノオのきょうだいでアマテラスさんという神さまがいますね。
アマテラスさんは太陽、地上をあまねく照らすのが仕事で、その恩恵を我々はいただいているんです。
でも、もし、太陽に照らされっぱなしだとしたら、地球はどうなっちゃうの?っていう話なんですよ。
そう、地球は干上がっちゃってダメになっちゃう。
また、嵐も来ないと、地球の温度はどんどん上昇して私たちは生きていられない。
それと同時に太陽も必要なんです。
太陽が照っていないと暗くて寒くて、命が絶えてしまいます」
日本の神々には、長所だけでなく、欠点もあるという。
しかし、それがあるからこそ絶対神が存在せず、日本には古来より、「祓(はら)え」「清(きよ)め」「幸(さきわ)う」といった、寛容や、ゆるしを大事にし、多様性を認める国民性がある。
そして同時に、神話には笑いや怒りといった喜怒哀楽もあり、成功も失敗もある。
神々が完ぺきでないのなら、人間が完ぺきであろうはずがない。
「人間は70%で最高、完ぺきは無理」
「ゆるし」がないとギスギスする。
「ゆるし」を多くし、もっと、おおらかに生きてみたい。
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斎藤一人さんの心に響く言葉より…
外国で、神さまというと、ただ一つの絶対的なる存在なんです。
オールマイティ、なんでもできる、万能なんです。
そういう完璧な存在を「神さま」としてあがめます。
それと比べると、日本の神さまというのは非常にユニークですね。
日本の神さまには、得手不得手があるんです。
「そんな、自分たちと変わらないようでは、神じゃない」
そう思った人もいるかもしれませんが、そこが実は違うんです。
日本の神さまは得手不得手があるからこそ、自分に苦手なことは「あの人に頼むといいですよ、あちらへどうぞ」と言うんです。
もしくは、一つの神社のなかに、もう一つ、別の神さまがまつられているんです。
だから神さまは自分の苦手なことについては「私は苦手だから、この人がいいよ」って。
日本の神さまのなかでは、ちゃんと役割分担が決まっていて、神さまたちはどっちがエライか、白黒はっきりさせたりしないんです。
そういう神さまだから、日本では宗教戦争とか、なかなか起こりづらいのです。
「ウチが正しい」「いや、ウチが正しいんだ」という言い争いになってしまうのは、お互い、自分たちの神さまがただ一つの絶対的なる存在だと思っているからじゃないかなと思います。
スサノオさんも、「スサノオは周りじゅうをぶっ壊すじゃないか」って言われちゃうけど、嵐を起こして"気"を混ぜて戻してくれるでしょ。
スサノオさんはスサノオさんで"いいもの"を持っているのです。
雷は「いなづま」ともいいます。
稲の妻と書いて「稲妻」なんですけど、読んで字のごとく、「雷がどんどん鳴ると稲の育ちがいい」とか、「雷の落ちたところはキノコがたくさん生える」とか、昔の人はよく言っていたのです。
最近、そういうことが科学的にも証明されてきて、人工的に雷(高圧電流)をピッピピッピってすると、シイタケとか、カイワレ大根とかの収穫量が増えることがわかってきたそうですよ。
昔の人は、科学は知らないけれど、自然とともに生きてるなかで自分たちが雷の恩恵にあずかっていることをちゃんと理解していたんですね。
日本人はね、昔から、雷とか、嵐、火山とか、自然のもの、一つひとつを崇拝するんです。
山の神さま、風の神さま、海の神さま、神羅万象に神を見るんです。
このような見方を、人に対してもできるといいよね。
目の前に出てくる人、出てくる人、みんな神さまだっていう見方を。
とくに自分自身に対して、そいう見方ができると、すごくいいと思うのね。
いいところもあって、悪いところもある"自分"という存在が神さまぐらい、素晴らしいと思えたら、こんなに幸せなことはないよ。
こんな悪いところがある、あんな悪いところがある、そんなことばっかり自分自身に言っていると、自分のことが好きになれなくて、苦しくなってきちゃうからね。
みんなね、「自分はこれとこれが苦手で」とか、「できなくて」とかって言うんだけど。
苦しんでる人はね、みんな、自分の欠点がゆるせないの。
ゆるせないのは「完ぺきじゃなきゃいけない」と思わされて育ってきちゃったからなんです。
人間は70%で最高、完ぺきは無理なんです。
「完ぺきなフリ」をする人がいるだけなの。
それと、あなたの周りにも完ぺき主義者っていますよね。
完ぺき主義者は嫌われるんです。
なぜ、嫌われるかというと、失敗、間違いを全部、他人のせいにするからなんです。
それをする以外、完ぺきはありえないから。
だから、周りの人が迷惑する。
だから、嫌がられるのです。
それでね、とくにいろんな才能のある人にはね、いろんな欠点があるの。
自分の周りをよーく見てごらんなさい。
ホントにそういうもんですよ。
地球と同じでね。
ある場所がうんと出っぱっている人はね、それの反対側が凹んでいて、でこぼこをすべてならすと、全員、総面積は同じなんです。
何かが図抜けてできる人は、何かが図抜けてできない。
逆に、とくにこれといって取り柄(え)のない人というのは、まんべんなくできて、ちゃんと食べていける。
ホント、そうなんです。
毎日、会社に行って、雨が降っても、風が吹いても、ちゃんと会社へ行って、ちゃんと仕事をして、サラリーマン生活を何十年と続けていて、っていう、それが取り柄なの。
この「図抜けたところがない」ところが、その人の取り柄なんです。
そうやって、この世の中はうまくバランスがとれているし、各自、人生ってうまくできているんです。
『斎藤一人 悩みはなくせる』(斎藤一人&舛岡はなゑ)PHP
斎藤一人さんは、こう語る(本書より)
「スサノオのきょうだいでアマテラスさんという神さまがいますね。
アマテラスさんは太陽、地上をあまねく照らすのが仕事で、その恩恵を我々はいただいているんです。
でも、もし、太陽に照らされっぱなしだとしたら、地球はどうなっちゃうの?っていう話なんですよ。
そう、地球は干上がっちゃってダメになっちゃう。
また、嵐も来ないと、地球の温度はどんどん上昇して私たちは生きていられない。
それと同時に太陽も必要なんです。
太陽が照っていないと暗くて寒くて、命が絶えてしまいます」
日本の神々には、長所だけでなく、欠点もあるという。
しかし、それがあるからこそ絶対神が存在せず、日本には古来より、「祓(はら)え」「清(きよ)め」「幸(さきわ)う」といった、寛容や、ゆるしを大事にし、多様性を認める国民性がある。
そして同時に、神話には笑いや怒りといった喜怒哀楽もあり、成功も失敗もある。
神々が完ぺきでないのなら、人間が完ぺきであろうはずがない。
「人間は70%で最高、完ぺきは無理」
「ゆるし」がないとギスギスする。
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