【人と違うことをすることを恐れない】
心臓血管外科医、天野篤氏の心に響く言葉より…
天皇陛下の心臓手術は東京大学と順天堂大学の合同チームにより行われた、「異例のケース」といわれた。
その手術を執刀して以来、私の生い立ちや、これまでの歩みをたくさんの記事にしていただいた。
過分なおほめの言葉も頂戴し、テレビでも、「天野篤」というひとりの医師が、どのようにして陛下の手術に携わるようになったのかを幾度も紹介していただいた。
そこでの「人となり」を数行に要約すると、天野篤という人間はだいたい次のようなことになる。
「落ちこぼれだった高校生が、心臓病で父親を助けようと医師を志し、三浪して日大の医学部に入った。
やがて心臓外科医になるが、自分も立ち会った3度目の手術で父親を失う。
自分にもっと力があればと、一念発起し、ひたすら腕を磨いていき、6000例を超える心臓手術を行うまでになった」
三浪という不名誉なことも含めて、たしかに事実はそのとおりだ。
今は順天堂大学医学部の心臓血管外科教授というポジションに押し上げていただいたが、もともとは出身大学の医局にも属さずに、一匹狼ともいえるような道のりを歩いてきたノンエリートだ。
ここに私の原点がある。
生来、人と同じことをするのが嫌いな反骨精神もある。
だが、30年医者をやってきて、本音でいいたい思いもある。
たとえば、受験難関校から旧帝大医学部に合格した秀才だけが医師になって本当によいのだろうか?
手術するのは学者ではない。
組織で偉くなる人でもない。
今後の医療現場では、かつての医師と現代の医師とでは求められる力が違うということもある。
最先端の医療現場では、医師が「ダヴィンチ」という手術支援ロボットを操作して、出血の少ない外科手術を行う時代にもなった。
つまり、小さい頃からコンピーターゲームの得意だった子が、優秀な外科医になりうる時代になっている。
私のように、小さい頃、プラモデル作りが得意だった子どもが患者さんのために役立つような時代だ。
プラモデルでは、部品のはがし方だって相当に集中してやった。
ひとつひとつの部品は、ニッパーできれいにはがさないとうまく仕上がらない。
1個部品を壊すだけで台無しになり、後戻りしなければならない。
そういうことが、熱中してきたことを通じてわかる。
だから、若い人のいろいろな経験を否定しないことが大切だ。
お母さんが我が子に、「ゲームばっかりして」と怒ることもあるだろうが、私は否定してはいけないと思う。
「ダヴィンチ」以上の手術支援機器が登場してくると、その技術的な進歩が、これまでの不可能を可能にするきっかけになったりする。
実際、医学部で教授という立場で、意思を育てるという側に立つと、弾力性ある若い力を、そのまましなやかに伸ばすには、どうしたらいいのかと、日々考えさせられる。
次世代のそれぞれの「思い」をどのように磨いていき、未来を切り拓(ひら)いていくのか…これからサポートしたいことでもある。
『熱く生きる』セブン&アイ出版
「禍福(かふく)は糾(あざな)える縄(なわ)の如(ごと)し」ということわざがある。
災いと幸福はまるで、より合わせた縄のように、かわるがわるやってくる、という意味。
失敗だと思っていたことが、成功する原因になったり、子どものころの無駄だと思っていた経験が、大人になって役に立つ、というようなことは多い。
これからの世の中はすさまじい勢いで変化する。
今までの技術が一瞬にして役に立たなくなるような、新技術も登場するだろう。
大事なことは、これからは、暗記したり、それを再生するというようなデジカメ的能力はまちがいなく必要なくなってくるということだ。
つまりたとえば、受験勉強で必要な記憶再生能力のようなこと。
現在は、それがスマホ一つでこと足りるからだ。
みんながやるから、自分もやる、というような生き方では、確実に取り残される。
人と違うことをすることを恐れない人でありたい。
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心臓血管外科医、天野篤氏の心に響く言葉より…
天皇陛下の心臓手術は東京大学と順天堂大学の合同チームにより行われた、「異例のケース」といわれた。
その手術を執刀して以来、私の生い立ちや、これまでの歩みをたくさんの記事にしていただいた。
過分なおほめの言葉も頂戴し、テレビでも、「天野篤」というひとりの医師が、どのようにして陛下の手術に携わるようになったのかを幾度も紹介していただいた。
そこでの「人となり」を数行に要約すると、天野篤という人間はだいたい次のようなことになる。
「落ちこぼれだった高校生が、心臓病で父親を助けようと医師を志し、三浪して日大の医学部に入った。
やがて心臓外科医になるが、自分も立ち会った3度目の手術で父親を失う。
自分にもっと力があればと、一念発起し、ひたすら腕を磨いていき、6000例を超える心臓手術を行うまでになった」
三浪という不名誉なことも含めて、たしかに事実はそのとおりだ。
今は順天堂大学医学部の心臓血管外科教授というポジションに押し上げていただいたが、もともとは出身大学の医局にも属さずに、一匹狼ともいえるような道のりを歩いてきたノンエリートだ。
ここに私の原点がある。
生来、人と同じことをするのが嫌いな反骨精神もある。
だが、30年医者をやってきて、本音でいいたい思いもある。
たとえば、受験難関校から旧帝大医学部に合格した秀才だけが医師になって本当によいのだろうか?
手術するのは学者ではない。
組織で偉くなる人でもない。
今後の医療現場では、かつての医師と現代の医師とでは求められる力が違うということもある。
最先端の医療現場では、医師が「ダヴィンチ」という手術支援ロボットを操作して、出血の少ない外科手術を行う時代にもなった。
つまり、小さい頃からコンピーターゲームの得意だった子が、優秀な外科医になりうる時代になっている。
私のように、小さい頃、プラモデル作りが得意だった子どもが患者さんのために役立つような時代だ。
プラモデルでは、部品のはがし方だって相当に集中してやった。
ひとつひとつの部品は、ニッパーできれいにはがさないとうまく仕上がらない。
1個部品を壊すだけで台無しになり、後戻りしなければならない。
そういうことが、熱中してきたことを通じてわかる。
だから、若い人のいろいろな経験を否定しないことが大切だ。
お母さんが我が子に、「ゲームばっかりして」と怒ることもあるだろうが、私は否定してはいけないと思う。
「ダヴィンチ」以上の手術支援機器が登場してくると、その技術的な進歩が、これまでの不可能を可能にするきっかけになったりする。
実際、医学部で教授という立場で、意思を育てるという側に立つと、弾力性ある若い力を、そのまましなやかに伸ばすには、どうしたらいいのかと、日々考えさせられる。
次世代のそれぞれの「思い」をどのように磨いていき、未来を切り拓(ひら)いていくのか…これからサポートしたいことでもある。
『熱く生きる』セブン&アイ出版
「禍福(かふく)は糾(あざな)える縄(なわ)の如(ごと)し」ということわざがある。
災いと幸福はまるで、より合わせた縄のように、かわるがわるやってくる、という意味。
失敗だと思っていたことが、成功する原因になったり、子どものころの無駄だと思っていた経験が、大人になって役に立つ、というようなことは多い。
これからの世の中はすさまじい勢いで変化する。
今までの技術が一瞬にして役に立たなくなるような、新技術も登場するだろう。
大事なことは、これからは、暗記したり、それを再生するというようなデジカメ的能力はまちがいなく必要なくなってくるということだ。
つまりたとえば、受験勉強で必要な記憶再生能力のようなこと。
現在は、それがスマホ一つでこと足りるからだ。
みんながやるから、自分もやる、というような生き方では、確実に取り残される。
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