プロフィール

2015年12月10日木曜日

無題

●私は誰もが見てびっくりするような偉大さというのは
 実はさほどたいしたものではないと思うのであります。
 ちょっと見るとたいしたことない、
 いっこうに偉そうにも見えないけれども
 何かことがあるとそのたびごとに光が出るような人、
 そういう人が本当に偉いのではないかと思うのであります。


●私もたくさんの先輩とか知人をもっておりますが、
 若い時には偉そうな人はやはり偉いような感じがします。
 こちらが成長しておりませんから。


●世の中には当たり前で何でもないなんていうことはないのであります。
 むしろ当たり前のことが一番難しくて説明ができない。
 そしてそれを調べてみると、ますます真理は
 その奥にあるというのが事実であります。


●「ハチマキをして目をつり上げて」というような努力は
 格好はよいのでありますが、そんな努力で本当に素晴らしい業績とか
 世界的な成果を挙げるというのはおそらくできないと思います。
 命を懸けた努力というものは皆ある意味では非常にゆとりを持った、
 しかし、いかなる場合にも決して揺るぎのない努力であります。
 それはあらゆる知恵とあらゆる愚かさとを混ぜたような努力であります。


●世の中いろいろなことがありますけれども、
 結局は幅の広い生活ほど、
 もし負けなければ、人生は深くなるのであります。
 ですから単調な、いわゆる苦労のない生活よりも、
 苦しくとも幅のある生活をしておる方が、
 人間の一生としては大きいと思います。


●本物は、本当に伸びた人は、学者であろうが芸術家であろうが
 事業家であろうが、私はみんな困難に打ち勝って
 伸びてきた人だと思います。


●息災というのは病気にならんことだと思っておりましたが、
 そうではなくて災いをなくするという言葉であります。
 ですから、もしお互いに自分の欠点に気がついても悲観をせずに、
 その欠点を伸ばすことによって味のある人間になれれば、
 欠点こそ下手な長所よりかえってよいかもしれません。


●何もかも立派な人間なんてものは、私はないと思います。
 それは描かれた人間である。本物は、何か必ず欠点を持っておるが、
 そういう欠点を持ちながらも大きく伸びる、素晴らしい人間になる、
 そういうところに、本当の人間としての偉さがある。
 人間味のある、しかもその人間味にとらわれない偉さであろうと思います。


●経験を本当に素晴らしいものにするには、素晴らしい知恵と、
 同時にあくまでも相手を許すというか、
 相手の気持ちを聞こうというゆとりといいますか、
 そういうものが必要だと思います。


●いかなる経験もただ人真似では駄目なんだ、
 その場所、その相手によって考えながら生きていかねばならん、
 そういう経験は同時に人生を深くすると思います。




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    『平澤興講話選集「生きる力」』(全5巻)




致知出版社様から頂いたメルマガより




押忍!

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