石黒ブログを読んでいただけるご縁に感謝致します。
いつもありがとうございます。
☆☆☆
三十年から五十年に及ぶ人生の活躍期
……………………………………………………………………
すでに前講でも述べたように、
二十代は人生における基礎づくりの時期であり、
土台づくりの時代であって、
この時期をいかに努力するかによって、
その人の一生は大きく左右せられるといってよいであろう。
そしてこの真理は、その職業のいかんを問わぬばかりか、
ある意味では学歴のいかんすらも超えて
妥当する真理といってよいであろう。
即ちそれは、たとえば中学や高校を卒業して、
独立経営者になる人々にも当てはまれば、
また大学を出て、俸給生活者の途をたどる人々の場合にも、
ひとしく当てはまる真理だといってよいであろう。
かくして、二十代をもって人生の基礎形成期であり、
即ち土台づくりの時期だということは、
言いかえれば、一種の雌伏時代だといってもよいであろう。
同時にその次に開かれる三十歳以後の世界は、
まさに人間としての活動期に入るわけであり、
さらには人生の活躍期といってもよいであろう。
そこで次に問題となるのは、
ではこのように人生の活躍期といわれる時期は、
一たい何歳くらいまでと考えたらよいかという問題であろうが、
そこには一応三つの時期、ないしは段階が考えられると
いってよいであろう。
同時にそれは、古来「男の働き盛りは三十年」と
いわれて来たことも契合するわけであって、
かく考えるとすれば、ふつうの人々の活躍期は、
一応五十代の終り辺をもって終ることになり、
随ってかような考えからは、
俸給生活者が六十歳をもって定年となることは、
一おう妥当だといってよいわけである。
即ち、この様な立場にたてば
人間はこの地上に生を享けてから三十年という
長い準備期を用意したあげく、
それに続く活躍期もまたほぼ三十年というわけである。
しかしながら、以上はいわゆる普通の人生コースをたどる人々、
とくにいわゆる俸給生活者についていうことであって、
定年によって束縛せられない独立の営業者の場合には、
上述のようなわくは超えられることを知らねばならぬ。
即ちそのような人々の場合には、
人生の活動期は五十代をもって終らないわけで、
六十代一パイは、その活動のつづく人が多いといえるであろう。
否、さらに卓れた一部の人々の活動は、
七十代に入っても、尚衰えぬ場合が少なくないのである。
かくしてそれらの人々の場合には、
いわゆる「一業五十年」というコトバが当てはまるのであって、
たとえば京都で戦前から戦後へかけて、
「中外日報」という宗教新聞を出していた真溪涙骨氏の如きも、
この「一業五十年」を標榜して、
よくこれを貫いた一人といってよいであろう。
かくして考えられることは、むかしから
「男の働き盛りは三十年」といわれるのは、
普通の人々に当てはまる一般的通則ともいうべきものであって、
多少とも常人のわくを超えて活動する人の場合には、
その活動期は六十代の終りまでといってよく、
随ってもし三十歳から数えるとすれば、
そうした人々の活動期は四十年となるわけである。
さらに「一業五十年」ということになれば、
その活動が三十歳から八十歳まで続く人というわけである。
なるほど人間も、一つの職業に従事して三十年もやり抜けば、
一応はその道に通じて、ある程度、熟達するとはいえようが、
しかしそれはまだ世俗的な標準からいうことであって、
真にその道の奥妙の域に到るには、
やはり五十年はかかるというべきであろう。
随って「一業五十年」ということは、
人生の生き方の目標としては、確かにふかい真理を示すと共に、
一おう最高の具体的目標といってよいであろう。
しかしながら、このように、
人生の活躍期が五十年をつらぬくということは、
やはり非凡の人といってよく、随って、
また逆に非凡な人物とは、
とりあえず、その人の活動が、七十歳を超えて
尚自らの一道をあゆむ人といってよいであろう。
「若き友への人生論」
森信三・著
致知出版社様より
押忍!
0 件のコメント:
コメントを投稿