プロフィール

2017年11月25日土曜日

人間は神様と動物のちょうど中間くらいの生き物。人間は人間にしか出来ない事をやって生きていく。

悲しみや悲観主義というものでも、
 自分だけに納めておくのではなくて、
 自分を忘れて人に話すことによって
 自分の苦しみも軽くなるのです

 ビクトール・フランクル
(『夜と霧』著者/精神科医)

『人生はあなたに絶望していない』より

────────────────
2017.11.25 偉人メルマガ
 
 ・・・



フランクル先生の偉大さは、自分自身も
他のユダヤ人と同様にとらわれの身として
置かれているにもかかわらず、そのなかで、絶えず、


「人間とは何か」、
「人間の本質は何か」、
「人間のよさとは何か」、


を真剣に問いかけ、考える事ができた点にある。

さらに、自らの学問である実存分析を
実証したところにある。


強制収容所は、アウシュビッツを始め、極寒の地にある。
氷点下20℃も当たり前の寒さである。暖房なんてない。
食べ物は、パンとじゃがいものスープ
(実が入っていることはめったにない)。 


寒い、ひもじい、そしていつガス室へ送られるかの恐怖。

ガス室では、奇跡的生還をした人はいない。
そんな劣悪な環境の中で、どんどん弱ってゆく人がいる。


そうした人たちに対し、
「あんた、ひもじいだろ、これ、食べなよ」
と言って、自分の食べ物を分けてあげられる
神様のような人もいる。
「あんた、寒いだろ、これを着なさい」
と言って、自分の上着を掛けてやる人もいる。


その一方、
「どうせ、お前、くたばるんだろ」
と言って、食べ物を取り上げてしまう輩もいる。
「お前、よい服を着てるな、俺によこせ」と言って
取り上げてしまう悪魔のような人もいる。


誰も悪いことはしていない。
ただ、ユダヤ人であるという理由だけで、
強制収容所似入れられている。
しかし、そこの囚人達の態度は見事に二つに分かれた。


神様的態度をとれたひとと、
悪魔的態度をとった人の2種類である。

フランクル先生は速記ができた。
ちびた鉛筆と小さな紙切れをいつもポケットに忍ばせ、
そっと観察結果のメモを取り、
月明かりにかざして読み返し、考察をした。
煉獄のなかでもこうした科学者としての
態度(観察、記録、考察)を崩さなかった。


その結果、どんなささやかなことでもうよい、
生きる意味をもっていた人だけが
神様的な態度をとれたのだった。


「自分にはまだやり残した仕事がある」
「自分には小さな子供がいる。
 あの子が成長するまではこんなところでは死ねない」

こうした日常的な意味を有していた人だけが、
人間的な行為を行えたのであった。

この事実は、戦前から精神分析額を補完する学問として
実存分析を考えていたフランクル先生にとって、
自信に繋がった。

自己の学問の正当性を強制収容所で証明できたのだった。



━━━━━━━━━━━━

『人生はあなたに絶望していない』

 永田勝太郎・著 

致知出版社様メルマガよりシェアさせていただきました。


押忍!

0 件のコメント:

コメントを投稿