もし、自分の目の前の現象が「自分の心の写し鏡」だとしたら、現実には、鏡の様に逆の現象が起こっているのだろうか、、
良い事の中には悪い事の芽があり、
良い事の中には悪い事の芽があり、
悪い事の中には良い事の芽がある。
「好事魔多し」
ようは、一喜一憂する事なく、目の前のまともな人に親切にし、目の前の日常のやるべき事、すべき事を、たのしく、粛々と淡々とやっていく、、、
うーん、実に難しい、、
たぶん、自分には、死ぬまで、一生、答えなんて見つかりませんね!笑
人間があまり、悟ろうとしたり、神様に近づこうとしたり、不思議系に入り込んでいくのは逆に危険の様な気が致します。
日本国に於けるところの神様は天照大御神(太陽神)
人間がお天道様(太陽)に近づき過ぎたら、逆に大火傷して死んでしまいますものね。
人間は人間らしく、俗世の中で、人間らしくたのしく生きていく!
人は人の間で生きて人間、まともな人に親切にしながら生きていく!
私にとって、これが一番、たのしいし、楽な生き方
と、、妙な事をを考えていた一日でした。笑^ ^
押忍 石黒康之
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一、忙中閑あり
「ただの閑は退屈でしかない。ただの忙は文字通り心を亡ぼすばかりである。真の閑は忙中にある。忙中に閑あって始めて生きる」
二、苦中楽あり
「いかなる苦にも楽がある。貧といえども苦しいばかりではない。貧は貧なりに楽もある」
三、死中活あり
「死地に入って活路が開け、全身全霊をうちこんでこそ何ものかを永遠に残すのである。のらくらと五十年七十年を送って何の生ぞや」
四、壷中天あり
「世俗生活の中にある独自の別天地をいう」
五、意中人あり
「常に心の中に人物を持つ。或いは私淑する偉人を、また要路に推薦し得る人材をここというように、あらゆる場合の人材の用意」
六、腹中書あり
「目にとめたとか、頭の中のかすような知識ではなく、 腹の中に納まっておる哲学のことである」
「六中観」
安岡正篤先生
Wikipediaよりシェアさせていただきました。
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