プロフィール

2020年8月20日木曜日


もし、自分の目の前の現象が「自分の心の写し鏡」だとしたら、現実には、鏡の様に逆の現象が起こっているのだろうか、、


良い事の中には悪い事の芽があり、
悪い事の中には良い事の芽がある。


「好事魔多し」


ようは、一喜一憂する事なく、目の前のまともな人に親切にし、目の前の日常のやるべき事、すべき事を、たのしく、粛々と淡々とやっていく、、、


うーん、実に難しい、、

たぶん、自分には、死ぬまで、一生、答えなんて見つかりませんね!笑


人間があまり、悟ろうとしたり、神様に近づこうとしたり、不思議系に入り込んでいくのは逆に危険の様な気が致します。


日本国に於けるところの神様は天照大御神(太陽神)


人間がお天道様(太陽)に近づき過ぎたら、逆に大火傷して死んでしまいますものね。


人間は人間らしく、俗世の中で、人間らしくたのしく生きていく!


人は人の間で生きて人間、まともな人に親切にしながら生きていく!


私にとって、これが一番、たのしいし、楽な生き方


と、、妙な事をを考えていた一日でした。笑^ ^



押忍         石黒康之

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一、忙中閑あり 
「ただの閑は退屈でしかない。ただの忙は文字通り心を亡ぼすばかりである。真の閑は忙中にある。忙中に閑あって始めて生きる」

二、苦中楽あり 
「いかなる苦にも楽がある。貧といえども苦しいばかりではない。貧は貧なりに楽もある」

三、死中活あり 
「死地に入って活路が開け、全身全霊をうちこんでこそ何ものかを永遠に残すのである。のらくらと五十年七十年を送って何の生ぞや」

四、壷中天あり 
「世俗生活の中にある独自の別天地をいう」

五、意中人あり 
「常に心の中に人物を持つ。或いは私淑する偉人を、また要路に推薦し得る人材をここというように、あらゆる場合の人材の用意」

六、腹中書あり 
「目にとめたとか、頭の中のかすような知識ではなく、 腹の中に納まっておる哲学のことである」

「六中観」

安岡正篤先生
Wikipediaよりシェアさせていただきました。




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