『心を軽くする言葉』イースト・プレス
江戸時代の名僧、白隠禅師の逸話がある(『君の霊格を高めよ』無能唱元)より
『松蔭寺の門前に住む財産家の娘が身ごもってしまい、父親から、だれの子かと激しく責めたてられ、つい、白隠禅師の子だといってしまう。
激怒した父親はその赤ん坊を抱いて松蔭寺にやってきて、「今まで尊敬していたが、人の娘に手をつけるとはとんだ生ぐさ坊主だ。さあ、この赤ん坊を引きとってくれ」と大声ののしって帰って行ってしまった。
禅師は別に怒る風もなく、その赤ん坊をそだて始めた。
それで禅師の信用はすっかりなくなり、信者も弟子も去って、松蔭寺はすっかりさびれてしまった。
禅師は赤ん坊をとてもかわいがり、村々を托鉢して行く。
村人の中には禅師の姿を見ると嘲笑し、石を投げたり、塩をまいたりする者もあった。
ある雪の日、赤ん坊を抱いて托鉢をしている禅師の姿を見ていたその娘は、ついに耐えきれなくなって、ワッと泣き出すと、父親に真実を打ちあけ、あれは白隠さんの子ではない、と言った。
仰天した父親は、禅師のもとへ走り、平あやまりにあやまった。
禅師は、初めと同じように、別に怒る風もなく、「ああそうか、父がいたか。よかったな」といって、その赤ん坊をかえした。
このことがあってから、以前にも増して信者や弟子が松蔭寺に集まるようになったという』
「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とまでうたわれ、500年に一度の天才と称されたのが白隠禅師。
生涯を墨染(すみぞ)めの衣で過ごしたといわれる。
誤解を受けても、一切言い訳をしない。
そして、誤解は行動で解く。
しかしながら、凡人にはこのことがなかなかできない。
ついつい、言い訳をしたり、大声で自分の正当性を主張してしまう。
「いつかはわかってくれるだろう」と信じ…
「生きざま」を見せることで誤解を解きたい。
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押忍
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