ただ今、
蒲郡道場の指導を終え、実家に顔を出し、
浜松への帰宅途中、
フッと長年悩んでいた(考えていた)ことが、
自分なりに解釈できました。(あくまで、自分なりの解釈ですが....)
その悩み事とは、
なんで、
「人の為(ため)」と書いて、
「偽(にせ・いつわり)」になるのだろうか...?
、という単純な悩み事なのですが。(笑、まぁ、皆様におかれましてはどうでもよい悩み事ですよね、笑。...........................................でも、本当、ワシにとっては44年間苦しんだの悩みごとだったのです。)
そして、
いま、たった今、
フッと思ったのです。
人(他人)の為(ため)と書いて、偽(にせ・いつわり)なのではなく、
人(他人)に為(な)ると書いて、
偽(にせ・いつわり)だ!
(「ため」、でなく「なる」が正解ではないのか?)..............................................................................、とです。(いつものの如く自分に都合よく解釈した訳ですが。笑)
ようは、しっかりと自分に為(な)らないと、偽(にせ・いつわり)になると。
まさに、
「自分が自分にならないと、
誰が自分になるのだ!」
、ということですよね。
しっかりと、自分に為(な)る。
自分の為(ため)でなく、
自分に為(な)る。
人(他人)に為(な)ったら、
偽者になる(偽善者になる)。
やはり、
人間はこの世に生を受けた意味は、
自分になりきって、私利私欲を捨て去って、
世のため、人のために生きる、
また、尽くすために生まれてきたのではないでしょうか...?
少なくとも、
ワシはその意義のために、
残されたこの生を死ぬまで生き抜いて、全うしたいと思います。
究極的には、「人のためにすることは、結局は自分のためになり、
自分のためにすることは、人のためになる」、のですから.....(ただし、私利私欲だけは絶対に捨てなければなりませぬ。)
押忍! 石黒康之
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