プロフィール

2014年1月9日木曜日

偽、にせ、いつわり

ただ今、

蒲郡道場の指導を終え、実家に顔を出し、

浜松への帰宅途中、

フッと長年悩んでいた(考えていた)ことが、

自分なりに解釈できました。(あくまで、自分なりの解釈ですが....)



その悩み事とは、

なんで、

「人の為(ため)」と書いて、

「偽(にせ・いつわり)」になるのだろうか...?

、という単純な悩み事なのですが。(笑、まぁ、皆様におかれましてはどうでもよい悩み事ですよね、笑。...........................................でも、本当、ワシにとっては44年間苦しんだの悩みごとだったのです。)



そして、

いま、たった今、

フッと思ったのです。


人(他人)の為(ため)と書いて、偽(にせ・いつわり)なのではなく、


人(他人)に為(な)ると書いて、

偽(にせ・いつわり)だ!
(「ため」、でなく「なる」が正解ではないのか?)..............................................................................、とです。(いつものの如く自分に都合よく解釈した訳ですが。笑)


ようは、しっかりと自分に為(な)らないと、偽(にせ・いつわり)になると。



まさに、

「自分が自分にならないと、
誰が自分になるのだ!」

、ということですよね。



しっかりと、自分に為(な)る。

自分の為(ため)でなく、

自分に為(な)る。


人(他人)に為(な)ったら、
偽者になる(偽善者になる)。


やはり、

人間はこの世に生を受けた意味は、

自分になりきって、私利私欲を捨て去って、

世のため、人のために生きる、

また、尽くすために生まれてきたのではないでしょうか...?



少なくとも、

ワシはその意義のために、
残されたこの生を死ぬまで生き抜いて、全うしたいと思います。



究極的には、「人のためにすることは、結局は自分のためになり、

自分のためにすることは、人のためになる」、のですから.....(ただし、私利私欲だけは絶対に捨てなければなりませぬ。)



押忍! 石黒康之

0 件のコメント:

コメントを投稿