私は洗面をするときに、猛烈な自省の念が
湧き起こってくることがあります。
例えば、前日の言動が自分勝手で
納得できないときに、「けしからん!」とか
「バカモンが!」などと、
鏡に映る自分自身を責め立てる言葉が
つい口をついて出てくるのです。
最近では、朝の洗面時だけでなく、
宴席帰りの夜などにも、
自宅やホテルの部屋に戻り、
寝ようとするときに、思わず
「神様、ごめん」という
「反省」の言葉が自分の口から
飛び出してきます。
「ごめん」とは、自分の態度を謝罪したいと
いう素直な気持ちとともに、至らない自分の
許しを創造主に請いたいという、
私の思いを表しています。
大きな声でそう言うものですから、
人が聞いたら、気がふれたと
思われるかもしれません。
しかし、一人になったときに、
思わず口をついて出てくるこの言葉が、
私を戒めてくれているのでは
ないかと思うのです。
このことを私は、自分自身の「良心」が、
利己的な自分を責め立てているのだと
理解しています。
人間は、理性を使って、
利他的な見地から常に判断ができれば、
いつも正しい行動がとれるはずです。
しかし実際には、そうなっていません。
往々にして、生まれながらに持っている、
自分だけよければいいという
利己的な心で判断し、
行動してしまうものです。
それは、例えば自分の肉体を維持するために
他の存在を押しのけてでも自分だけが
食物を独占しようとする
貪欲な心のことですが、
そのような利己的な心は、
自己保存のために天が生物に与えてくれた
本能ですから、完全に払拭することは
できません。
しかし、だからといって、
この本能に基づく利己的な心を
そのまま放置しておけば、
人間は人生や経営において、
欲望のおもむくままに、
悪しき行為に走りかねません。
「反省」をするということは、
そのように、ともすれば利己で
満たされがちな心を、
浄化しようとすることです。
私は「反省」を繰り返すことで自らを戒め、
利己的な思いを少しでも
抑えることができれば、心の中には、
人間が本来持っているはずの美しい
「利他」の心が現れてくると
考えています。
稲盛和夫先生
押忍!
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