【ほんの少しの優しさ、ほほえみ、言葉がけ】
ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子氏の心に響く言葉より…
マザー・テレサが日本にいらした時のことです。
私たちの大学にもいらして、待ち構えていた学生たちにお話をしてくださいました。
お話に感動した学生たちの中から、奉仕団を結成したいという声があがり、受け入れについての質問がでました。
マザーはとてもうれし気(げ)に、感謝しながら、こう言われたのです。
「その気持ちはうれしいが、わざわざカルカッタまで来なくてもいい。まず、あなたたちの周辺の『カルカッタ』で喜んで働く人になってください」
それから2年半経った3月中旬、私は広瀬さんという卒業生から手紙を受け取りました。
その人は、前年の3月に大学を卒業して、県内のある高校で国語の教師をしていました。
自分が教師になって初めて送り出した女子生徒の一人が、卒業式後にこう言ったそうです。
「広瀬先生だけは、私を見捨てないでくれた。ありがとうございました」
そう言い置いて校門を出ていった生徒の後ろ姿を見ながら、広瀬さんは思いました。
「私がしたことといえば、授業中に目が合った時、あの子に努めてほほえんだことだけだったかも知れない」と。
その女子生徒は、学業にも家庭にも問題を抱えていて、他の教師たちには「お荷物」と考えられていたそうです。
他の教師たちから無視されていた生徒に、広瀬という新卒の国語教師は、目を合わせることを恐れず、しかもほほえみかけることによって、その生徒の存在を認め、見捨てなかったのでした。
私たちの周辺にも「カルカッタ」があります。
それは案外、家族の中で相手にされていない老人かも知れません。
学校でいじめられたり、無視されている子どもたち。
職場で、社会で、仲間外れにされている人々。
生きがいを失って寂しい思いで生きている人たち。
そのような人たちに、ちょっとした優しい言葉、動作、温かいまなざし、ほほえみを差し出すことを忘れていないでしょうか。
「みんな、自分が一番かわいいのよ」と、私の母は、私が落ちこんでいる時に、慰めとも、いましめともつかない言葉を言ってくれたものです。
だから、淋しい人が生まれるのです。
私だって、淋しい時があります。
そんな時に、ほんの少しの優しさ、ほほえみ、言葉がけで、今まで何度、いやされ、力づけられてきたことでしょう。
私たちは、自分自身も「カルカッタ」にいる時があるのです。
ですから、お互いに手を差し伸べることがたいせつなのです。
『幸せはあなたの心が決める』PHP研究所
こんな話がある。
「ある日、女の子が学校から家に戻ると、『今日の宿題は?』と父親に尋ねられます。
『今日はね、誰かに抱っこしてもらうこと』と答えた女の子を、父親は『よーし』と言ってすぐに、しっかり抱いてやりました。
そしてその後も、母親、祖父、曾祖母、姉たちに次々と抱っこされたのです。
翌日、学校から戻った女の子は、6人に抱っこしてもらった自分が一番だったと父親に報告します。
『皆、してきたんだね』と言う父親に、『ううん、何人かしてこなかった。先生が、前に出なさいと言って前に出たんだ。そしたら先生が、一人ひとりを抱っこしてやったんだよ』」(同書より)
渡辺和子氏はその話に対して、こう語っている。
「宿題をしてこなかった子どもたちを叱(しか)るでもなければ咎(とが)めるでもなく、親の代わりに抱っこしてくれた先生の姿に、私は心温まる思いがしました。
そして、私たちの大学を出て教職につく一人ひとりが、こんな先生になってほしいと思ったことでした」
他人に対して、ほんの少しの優しさ、ほほえみ、言葉がけを、我々は出し惜しみしたり、億劫(おっくう)に思ってしまう。
人が救われるのは、何も大きな援助や、ボランティアだけではない。
ほんの少しの優しさ、ほほえみ、言葉がけを出し惜しみしない人でありたい。
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押忍!
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