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2016年3月4日金曜日

幕末の英傑・勝海舟語録、
   人間を磨く50訓

 『活学新書 勝海舟修養訓』

      石川真理子・著

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【勝海舟の言葉】

 「うぬぼれは必死で押さえつけよ」


お家のためだから生きるとか
死ぬるとか騒ぐやつがよくあったが、
それはみな自負心だ。うぬぼれだ。

うぬぼれをのぞけば、
国家のために尽くすという
正味の処は少しもないのだ。

もしそんな自負心が起こったら、
おれは必死になってこれを押えつけた。



【解説】

明治三十一年三月二日、明治維新以降は
一私人の身分に甘んじていた徳川慶喜が
明治天皇・皇后両陛下に拝謁しました。

このことは十四代将軍にもかかわらず
逆賊と称された慶喜が汚名を返上し、
事実上復権を果たしたことを意味します。
さらには朝廷と徳川将軍家との和解が
三十一年ぶりに成立したこととなりました。

この拝謁は有栖川宮威仁親王の
斡旋によるものです。

しかしその背後には海舟の奔走が
あったのです。

この拝謁をきかっけに
慶喜は明治三十五年に侯爵となり、
元将軍の地位に相応しい待遇を
得られるようになりました。

海舟は慶喜から二度のいわば
裏切り行為により翻弄させられています。

しかし、それでもなお主君は主君であり、
幕臣海舟としては忠義を尽くす立場です。

特筆すべきは三十年経過して
なお海舟の忠義心は生々しく、
まったく失われていなかったことでしょう。

世の中がすっかり変わっても、
海舟にとってはここまでが
「明治維新」だったのです。

翌日、慶喜は勝家を訪れ
陛下から賜った御言葉や種々の品々について
海舟に報告、海舟はうれし涙に暮れ、
今後もどこまでも品位を
お保ちになるようにと言上しました。

慶喜は陰ながら海舟が尽力したことを、
恐らくは気づいていません。
海舟が目につかぬよう
事を進めていたためです。

「世のため人のため」とは
よくいわれることであり、
また、人はそうあるべきです。

しかし、言葉だけが一人歩きしないよう
努める必要があります。

言葉にせずとも黙々と行い続けていれば
必ずわかってもらえる時がきます。
いえ、その時が来なくても
行ったということが大切なのです。

「○○のため」という思いが
うぬぼれにならないためには、
当然のことをしているのみだと
自分を戒めることでしょう。



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