プロフィール

2016年8月13日土曜日

親の気持ち

男の生き方には、
どこか「自己を賭ける」という
趣きがないとね。

組織の中におると
賭けるということは
そう勝手にはできません。

なぜかというと、食うことを
保証されているからね。
だから、人を使う人は
ある程度部下に賭けさせるということ。
そこがすぐれた社長の条件でしょうね。


——賭けると、自分の知らなかった力も
  出てきますから。


ええ、出てくる。力が出てくる。
それから、社長の信頼度を
実感しますね。
そこに命と命の呼応が生まれる。


——上役の苦心がわかりかけたら
  たとえ年は若くても、
  他日ひとかどの人間となると
  みてよい、といわれているのも、
  なかなかおもしろい指摘です。


それはなぜかというと、想像によって、
自分の経験の世界の限界を越えとるから。

で、それはね、一種の叡智の働きですが、
叡智ってものは、
においをかいで察しをする、
ということです。

この叡智の働きというのは
学問論としても教育論としても
大事なことだ。

ところが、日本は肝心の学問論てものが
ほとんどみるに堪えるものがない。
みな西洋の学者の学問論の
翻訳みたいなものばかりでね。
自分の体を絞ったものがない。

ついでにいうと、
上位者にタテつくことをもって、
快とする程度の人間は
とうてい「大器」にはなれないと思う。

そりゃ、まだ、みる世界が
狭いってこと。

親の気持ちさえ、察しがつかんという
程度じゃ無理。
そりゃ、組織が、人的構成が
生きてつかめておらんということです。
そういうことがにおいでわかりだすのが
三十過ぎ。

これをいかにして年齢を遅れんように
知らすかということが、
幹部の人の苦心の
いるところじゃないですか。

まあ、教育といえば、
それが一番の教育でしょう。





「大器」の条件(森信三)

※聞き手:『致知』編集長 藤尾秀昭

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