プロフィール

2016年9月12日月曜日

医者の心得

松下幸之助氏の座右の書


『石田梅岩「都鄙問答」』


   城島明彦・現代語訳  致知出版社



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【問】

私は、倅の一人を医者にしたいと
考えている。世渡りしていくには、
どのような心得が必要だろうか。


【答】

私は医者の道は学んでいないので、
詳しいことはいえないが、
どういう志が必要かということを
話そうと思う。

まず、医学に心を尽くすべきだ。

だが、医書に書かれた意味が
理解できずに、
人命を預かるのは恐ろしい。

自分自身の命を惜しいと思う気持ちで、
医者にかかる人の気持ちを
推し量ることが大切。

病人を預かったら、
一時でも気を抜かないことだ。

自分の頭が痛かったり、
腹痛がしたりすれば、
少しの間もがまんできなくなる。

そのことが理解できる者なら、
人の病気を自分の病気のように考える。
心を尽くして治療に専念すると、
夜もゆっくりとは眠っていられない
心境になるだろう。


人の命を大切に思い、薬を処方し、
そうすることを自分の使命と考え、
その患者の病気が快癒するのを
楽しみとし、謝礼のことなどは
考えずに治療に励めばよいのだ。

謝礼のことは考えるなといっても、
患者側にしてみれば、
一命をゆだねるのだから、
暮らし向きに応じた
それ相応の謝礼をするはずだ。

以前、ある人が私に
「世渡りを考えたら、
医者はやるべきではない」と
いったことがある。

薬を処方する側から見ると、
そういうこともあるということだ。

生活のために医者を開業すると、
謝礼が滞っている家へは
往診に出かけたくない気持ちも
出てこようというもの。

とはいうものの、
「そのうち、往診に」と
日延べしているうちに、
その病人が死にでもしたら、
それが天命であったとしても、
医者としての正しい心で判断するなら、
自分の私欲のために
そういう結果を招いたことになり、
天命と簡単に片づけられないだろう。

孟子(『孟子』梁恵王上篇)は、
梁の恵王に
「人を殺すのに刃をつかうのと、
政治で死に追いやるのとでは、
どんな違いがあるか」と尋ねられ、
「殺すことに変わりはない」と答えている
(「人を殺すに刃と政とを以てせば、
 以て異ることあるか。
 曰く、以て異ること無し)。

人を殺す方法に違いはあっても、
死なせた罪にかわりはない。
恐ろしいことだ。

医者としては、精一杯心を尽くし、
人の命を惜しむ仁の心もあって
薬を施したのに、病気が治らない場合は
仕方がないというしかないが、
孔子(『論語』子路篇)は
「確固たる信念と覚悟がなければ、
神に仕えることもできないし、
医者となって人の病気を治すことも
できない」
(恒無くんば以て巫醫を作すべからずと。
善哉かな)といっている。

医業は、人の命を託される
仕事である。

人の命を大切にする気持ちを
自分の心としないと、
仁の道に背いた過ちを
何度も犯すことになる。

自分の命を惜しむ心で
病人を愛するなら、
過ちは少なくなるはずだ。

心底からこのようにする者が
仁愛に満ちた真の医者となるのだ。
仁愛を失わないこと。

それが、医者に求められる
恒常心なのである。

前述した孔子の言葉を胸に深く刻み、
治りにくい病気にかかった
患者と出会ったら、
医書を読み漁って、
その治療法を工夫することだ。

そうするのは、
博識になるためではなく、
心底から病人を気にかけ、
憐れみの気持ちで接するためであり、
そういうことを重ねていけば、
いつか必ず「博学の名医」と
呼ばれるようになるだろう。

博学というのは、詩作に励んだり、
文章が巧みであったり
することではない。

以上が、医者として
志すべきことの大略である。




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