【ありがとうの不思議】
小林正観さんの心に響く言葉より…
40年以上にわたって、超能力や超常現象を研究し続けてきて、いちばんおもしろいと感じているのが、「ありがとうの不思議」です。
心を込めなくてもいいから、「ありがとう」と言うと、2万5000回を超えたあたりで、多くの例では、突然涙が出てきます(出てこない人もいます)。
なぜ涙が出てくるのかはわかりませんが、泣いて、泣いて、涙が出尽くした後に言う「ありがとう」は、ほんとうに心の底から感謝が込められた「ありがとう」になります。
その心の底から湧いてくる「ありがとう」をさらにもう2万5000回ほど言って、計5万回の「ありがとう」になると、なぜか突然、幸せが現実化し始めるようです。
神様のもとでは本来"幸"も"不幸"も現象としては存在しないのですが、私が幸せで心地よいと感じることは存在します。
そういった、私にとって幸せだと感じられる現象が、片っ端から起きていくのです。
本来の私たちは、すべてのことに感謝できる能力を、神様によってインプットされているようです。
家族、夫婦、友人、知人、お金や仕事、健康…目の前のあらゆることに、心の底から手を合わせられるのです。
病気や事故のような、普通に考えると困難な出来事さえ、私たちは「ありがとう」と言うことができます。
そういう私でいると、奇跡が起きます。
例えばガンになってしまったとき。
「どうして自分だけが」とつらい思いをして、「ガン細胞は敵だ。ガンと戦うぞ」と決意する人がいますが、そうするとガンに倒れます。
それよりも、ガン細胞を味方だと思ってしまうほうがいい。
すると、ガンが味方をしてくれる可能性があります。
このガン細胞に、話を聞いてみたとしましょう。
「今のままの生活を続けると、あなたの体は死んでしまうよ。だから、もうちょっと違う生き方をしたほうがいいと思うよ」
と、知らせてくれているかもしれません。
今のままの生活とは、「人生のあらゆることに感謝する」という生き方を忘れて、人生を思いどおりにしようと、がんばったり努力したり気合を入れたりすること。
競争社会で生きていくために、競ったり、比べたり、争ったりすること。
物事に対する優しさを失っていること…。
そういう生活を体が嫌がる。
それで、ガンが出現するようです。
ガン細胞がやっているのは、「あなたは本来もっと優しい人なので、それを思い出しなさい」という、はからいのようなものです。
いつも笑顔で優しい人に戻るために、病気になる。
だから、病気になったら「ありがとう」なのです。
私たちの多くは、目の前の出来事に対して、「状況を改善したい」「願いが叶えばいいのに」という夢や希望を持って、思い通りにならない物事をリストアップしがちです。
親は学校の先生から、「リストに挙げたことを思いどおりにすることこそが幸せだ」「夢や希望や望みや願いを語りなさい」「願望を実現しなさい」と教わってきたからでしょう。
でも、幸せな人生には、いっさいの夢や希望はいりません。
なぜなら、私の人生で起きることは、病気であれ事故であれ、100%、今の自分に必要な「ありがたい」ものだからです。
与えられたものに対して「まだ足りない」「別のものが欲しい」と夢や希望を持って、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言うことは無意味。
それよりもむしろ、「うれしい、楽しい」「あぁ幸せ」と言って、今ある幸せを数え上げてみる。
「ありがとう」と口に出して感謝する。
そうすればきっと、膨大な数の幸せの存在に気づきます。
「今この状況が幸せの極致なのだ」と気がついたならば、私たちは今この瞬間に、幸せになることができます。
幸せとは、求めて求めて何かを手に入れることでなく、今、目の前に存在する現象について、「私」が「幸せだ」と思うこと。
そこに尽きるのです。
『神様を見方にする法則』マキノ出版
小林正観さんは「ありがとう」についてこう語る(同書より)。
『「ありがとう」という言葉は、もともとはお釈迦様の「有り難し」という言葉から来ているらしいのです。
《人生の生を受くるは難く、やがて死すべき者の 今命あるは有り難し(発句教》』
「人が生命を受けることは難しく、必ず死ぬことになっている者が、今たまたま命があるというのは、めったにないことだ」という意味です。
ありがとうとは、「めったにない」という概念から生じたのです。
室町時代以前、この言葉は、神様のみ使われていたそうです。
当時の人たちは、人の力では成就しにくいことが成就したとき、「ありえないことが起きた」というのを「ありがたし」と言っていました。
「ありがとう」とは、神様を褒めたたえる言葉。
神様への感謝の言葉でした。
「神様。あなたのおかげで、めったにないことが起きました。感謝します」
そんな言葉を言われ続けたら、神様だって、そう言う人に対して好意的になって、応援しだすのではないでしょうか』
人間関係の極意は、「味方を増やすこと」。
敵も味方にすることができるなら、無駄なストレスや消耗はなくなる。
敵とまともにやりあえば、お互いに傷つく。
これは、病気で考えるとよくわかる。
味方を増やす一番の方法は、「ありがとう」と「感謝」。
「ありがとう」の言葉を多く発したい。
■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪
http://www.facebook.com/hitonokokoro
小林正観さんの心に響く言葉より…
40年以上にわたって、超能力や超常現象を研究し続けてきて、いちばんおもしろいと感じているのが、「ありがとうの不思議」です。
心を込めなくてもいいから、「ありがとう」と言うと、2万5000回を超えたあたりで、多くの例では、突然涙が出てきます(出てこない人もいます)。
なぜ涙が出てくるのかはわかりませんが、泣いて、泣いて、涙が出尽くした後に言う「ありがとう」は、ほんとうに心の底から感謝が込められた「ありがとう」になります。
その心の底から湧いてくる「ありがとう」をさらにもう2万5000回ほど言って、計5万回の「ありがとう」になると、なぜか突然、幸せが現実化し始めるようです。
神様のもとでは本来"幸"も"不幸"も現象としては存在しないのですが、私が幸せで心地よいと感じることは存在します。
そういった、私にとって幸せだと感じられる現象が、片っ端から起きていくのです。
本来の私たちは、すべてのことに感謝できる能力を、神様によってインプットされているようです。
家族、夫婦、友人、知人、お金や仕事、健康…目の前のあらゆることに、心の底から手を合わせられるのです。
病気や事故のような、普通に考えると困難な出来事さえ、私たちは「ありがとう」と言うことができます。
そういう私でいると、奇跡が起きます。
例えばガンになってしまったとき。
「どうして自分だけが」とつらい思いをして、「ガン細胞は敵だ。ガンと戦うぞ」と決意する人がいますが、そうするとガンに倒れます。
それよりも、ガン細胞を味方だと思ってしまうほうがいい。
すると、ガンが味方をしてくれる可能性があります。
このガン細胞に、話を聞いてみたとしましょう。
「今のままの生活を続けると、あなたの体は死んでしまうよ。だから、もうちょっと違う生き方をしたほうがいいと思うよ」
と、知らせてくれているかもしれません。
今のままの生活とは、「人生のあらゆることに感謝する」という生き方を忘れて、人生を思いどおりにしようと、がんばったり努力したり気合を入れたりすること。
競争社会で生きていくために、競ったり、比べたり、争ったりすること。
物事に対する優しさを失っていること…。
そういう生活を体が嫌がる。
それで、ガンが出現するようです。
ガン細胞がやっているのは、「あなたは本来もっと優しい人なので、それを思い出しなさい」という、はからいのようなものです。
いつも笑顔で優しい人に戻るために、病気になる。
だから、病気になったら「ありがとう」なのです。
私たちの多くは、目の前の出来事に対して、「状況を改善したい」「願いが叶えばいいのに」という夢や希望を持って、思い通りにならない物事をリストアップしがちです。
親は学校の先生から、「リストに挙げたことを思いどおりにすることこそが幸せだ」「夢や希望や望みや願いを語りなさい」「願望を実現しなさい」と教わってきたからでしょう。
でも、幸せな人生には、いっさいの夢や希望はいりません。
なぜなら、私の人生で起きることは、病気であれ事故であれ、100%、今の自分に必要な「ありがたい」ものだからです。
与えられたものに対して「まだ足りない」「別のものが欲しい」と夢や希望を持って、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言うことは無意味。
それよりもむしろ、「うれしい、楽しい」「あぁ幸せ」と言って、今ある幸せを数え上げてみる。
「ありがとう」と口に出して感謝する。
そうすればきっと、膨大な数の幸せの存在に気づきます。
「今この状況が幸せの極致なのだ」と気がついたならば、私たちは今この瞬間に、幸せになることができます。
幸せとは、求めて求めて何かを手に入れることでなく、今、目の前に存在する現象について、「私」が「幸せだ」と思うこと。
そこに尽きるのです。
『神様を見方にする法則』マキノ出版
小林正観さんは「ありがとう」についてこう語る(同書より)。
『「ありがとう」という言葉は、もともとはお釈迦様の「有り難し」という言葉から来ているらしいのです。
《人生の生を受くるは難く、やがて死すべき者の 今命あるは有り難し(発句教》』
「人が生命を受けることは難しく、必ず死ぬことになっている者が、今たまたま命があるというのは、めったにないことだ」という意味です。
ありがとうとは、「めったにない」という概念から生じたのです。
室町時代以前、この言葉は、神様のみ使われていたそうです。
当時の人たちは、人の力では成就しにくいことが成就したとき、「ありえないことが起きた」というのを「ありがたし」と言っていました。
「ありがとう」とは、神様を褒めたたえる言葉。
神様への感謝の言葉でした。
「神様。あなたのおかげで、めったにないことが起きました。感謝します」
そんな言葉を言われ続けたら、神様だって、そう言う人に対して好意的になって、応援しだすのではないでしょうか』
人間関係の極意は、「味方を増やすこと」。
敵も味方にすることができるなら、無駄なストレスや消耗はなくなる。
敵とまともにやりあえば、お互いに傷つく。
これは、病気で考えるとよくわかる。
味方を増やす一番の方法は、「ありがとう」と「感謝」。
「ありがとう」の言葉を多く発したい。
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