プロフィール

2017年9月11日月曜日

熱と誠

    「熱と誠」


「人生には二本のレールが必要だ。
新幹線も二本のレールがあるから
 どこまでも走って行ける」


森信三師が言っていたという。
弟子の寺田一清さんから聞いた。

では、何をもって
人生の二本のレールとするのか。
思い浮かんだことがある。

『致知』平成二十五年六月号に
ご登場いただいた北里柴三郎の曾孫、
英郎さんの話である。

一八九一(明治二十四)年、
ベルリン滞在中の北里柴三郎を
一人の青年が訪ねてきた。

ストラスブルグ大学留学中の医化学生で、
後に京都帝国大学総長となる荒木寅三郎である。

時に柴三郎三十八歳、寅三郎二十五歳。

柴三郎は三十三歳で内務省衛生局から
ドイツへ留学、コッホのもとで研究に打ち込み、
一八八九(明治二十二)年、
当時誰もが成し得なかった
破傷風菌の純粋培養に成功、
世界の医学界を驚かせた。

さらに翌年、破傷風菌に対する
免疫抗体を発見し、これを応用した
血清療法を確立、
「世界の北里」と評価される存在になっていた。
その柴三郎を一学究が訪ねたのである。

何か悩みがあるらしい後の帝大総長に、
柴三郎はこう言った。


「君、人に熱と誠があれば、
 何事でも達成するよ。
 よく世の中が行き詰まったと言う人があるが、
 これは大いなる誤解である。

 世の中は決して行き詰まらぬ。
 もし行き詰まったものがあるなら、
 それは熱と誠がないからである。

 つまり行き詰まりは本人自身で、
 世の中は決して行き詰まるものではない」


当時、近代医学における欧米諸国と
日本の格差は圧倒的なものがあった。
この彼我の差を克服すべく、
さまざまな困難と闘いながら
自ら一道を切り拓いてきた柴三郎。
その体験が言わせた信念の言葉である。

この言葉が若き一学究の心に火をつけた。
その火は荒木寅三郎の生涯を貫いて
燃え続けたのではないか。


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