【人間に与えられた、たった一つの義務と、たった一つの権利】
小林正観さんの心に響く言葉より…
40年、いろいろな社会現象・人間観察をしていって、人間にはたった一つの義務とたった一つの権利だけが神に与えられているようだ、という結論に至りました。
たった一つの義務とは、輪廻転生です。
「輪廻転生」という言葉を辞書で引くと、「生まれ変わること」と書いてありますが、「輪廻転生」とは、「生まれ変わらなければいけない」こと。
私たちは、生まれ変わることが義務なのです。
これが神によって唯一定められた私たちの義務。
そして、この世に生まれてきたことは、今生が初めてではありません。
本人の意志には関係なく、人間として生まれ変わりをすることになっています。
生まれ変わって、平均寿命が日本人の場合約80年ですが、その80年の間に何をするのでしょうか。
私たちの目の前には、いろんなことが起きます。
その目の前の現象に対して、どんなことが起きても、それを「辛い、悲しい、つまらない、不平・不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」という形でとらえるのではなく、最終的に棺桶に横になったときに、「ああ、いい人生だったな。楽しくて幸せな人生だったな」と感謝で死ねるかどうか。
これが一回ごとの人生のテーマです。
そして、それがクリアできると、次にもう一回生まれ変わるときに、そのトッピングの内容がきつくなります。
前回の人生よりも、厳しい条件を増やすのです。
一つの義務ということについてお話ししましたが、一つの権利についても、お話ししておかなければなりません。
地球上には何億種類もの生物が存在しています。
その何億もの生命の種類の中で、「感謝」という概念を使いこなすことのできる生物が人間です。
感謝をしてもいいよ、という権利であって、感謝は義務ではありません。
その権利を与えられた私たちは、ありとあらゆる現象を「感謝メガネ」という眼鏡を通して見ると、人生が全部、嬉しく楽しいものになってしまいます。
だから「感謝」は義務ではなく権利なのです。
そして、ヒトが感謝をした瞬間に「ヒト+感謝=人間」になります。
「人間」とは、社会の中で自分一人だけで生きているのではありません。
「ありがとう。みなさんのおかげです」といって生きるのを「人間」といいます。
人に対してだけではなくて、目の前にあるコップに対しても水に対しても、何に対しても感謝をすることができるのです。
しかもこの感謝はしなくてはいけないのではなくて、「感謝」という概念を使いこなしてもいいよ、というもの。
そうすると人生がものすごく楽しくて幸せになります。
人生でいろいろあったけれど、それも感謝という眼鏡を通してみたら全部感謝だよね、と言えるようになったときに、自分の人生が自分にとっていちばん楽になります。
自分が幸せに生きるためのアイテムとして、「幸せメガネ」「感謝メガネ」を神から与えられました。
自分一人の力で、努力して生きてきましたという人は、不思議なことに、なかなか神様から応援支援をいただけないようです。
でも感謝をしていると、この「感謝をしているヒト=人間」に対しては、神様も応援しようかな、と思うらしい。
結局、私たちは「感謝」という眼鏡を通してあらゆるものを見ると、それが不幸や悲劇ではなくて、実は感謝の元だった、ということに気がつきます。
もしこれを、自分の子どもたちに、
「私たちは唯一神によって感謝を許された生物なんだって。あなたも、それをせっかく感謝ができる生物として生まれてきたのだから、使いこなして死んでいかないと損よ」
と伝えることができたら、全ての子どもたちが、感謝に満ちた大人になっていくことでしょう。
『「人生を楽しむ」ための30法則』講談社
小林正観さんは、こう語る(『幸も不幸もないんですよ』マキノ出版より)。
『「生前(せいぜん)」という言葉があります。
「生まれる前」と書きます。
「生前、あのかたが使っていたものです」というような使い方をします。
意味としては、「生きていたとき」「死ぬ前」ということです。
常識的に考えると、「死前」と書かなくてはいけないはずでした。
似た言葉に、「大往生(だいおうじょう)」という言葉があります。
「往生」は死ぬこと、「大往生」は「安らかに穏やかに死ぬこと」です。
「往生」は、「生(の世界に)往(ゆ)く」と書きます。
これも、本来なら、「往死」「死(の世界)に往く」と書くべきところでした。
どうも、昔の人たちは、「あの世」があると思っていたようです。
さらに、「あの世」のほうが「ほんとうの生」の世界であって、こちらの世界は「仮の世」と思っていた節があります』
生まれ変わりがあるかどうかは、誰も分からないし、証明できない。
あの世がないと思っている人は、今生、悪の限りを尽くしても、あの世がないのだから、死後に罰(ばち)などは当たらないと思っている。
しかし、もし仮に死んでから、あの世があることが分かったら、「しまった。最悪だ!」とうろたえるだろう。
だが、生まれ変わりがあり、あの世もあると信じて、前世より今世と徳を積み上げ、人格を磨いてきた人にとっては、あの世があろうが、なかろうが関係ない。
仮にあの世がなかったとしても、何も「しまった!」と思うことはないからだ。
つまり、損得勘定から言っても、「あの世はある」「生まれ変わりはある」と信じたほうが得だということ。
人は、生まれたからには、必ず死ぬ、という定めを持っている。
損得勘定から言っても、「生まれ変わることが義務」だと思ったほうがいい。
また、この世に起こることには、いいとか悪いとか、幸とか不幸もない。
すべて、見方しだい、考え方しだいだ。
その根本にあるのが感謝。
感謝のメガネをかけてみれば、すべてが、当たり前ではない、スペシャルな、感謝すべきことに見えてくる。
「それがあったおかげで」という「おかげさま」の心だ。
感謝は、地球上の全生物のなかで、たったひとり、人間だけに与えられた権利。
この権利をしっかり行使するかどうかで、その人の運が決まる。
そして、死に往くとき、「ああ、いい人生だったな。楽しくて幸せな人生だったな」と感謝で死ねるかどうか。
感謝の気持ちで日々くらしたい。
■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪
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小林正観さんの心に響く言葉より…
40年、いろいろな社会現象・人間観察をしていって、人間にはたった一つの義務とたった一つの権利だけが神に与えられているようだ、という結論に至りました。
たった一つの義務とは、輪廻転生です。
「輪廻転生」という言葉を辞書で引くと、「生まれ変わること」と書いてありますが、「輪廻転生」とは、「生まれ変わらなければいけない」こと。
私たちは、生まれ変わることが義務なのです。
これが神によって唯一定められた私たちの義務。
そして、この世に生まれてきたことは、今生が初めてではありません。
本人の意志には関係なく、人間として生まれ変わりをすることになっています。
生まれ変わって、平均寿命が日本人の場合約80年ですが、その80年の間に何をするのでしょうか。
私たちの目の前には、いろんなことが起きます。
その目の前の現象に対して、どんなことが起きても、それを「辛い、悲しい、つまらない、不平・不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」という形でとらえるのではなく、最終的に棺桶に横になったときに、「ああ、いい人生だったな。楽しくて幸せな人生だったな」と感謝で死ねるかどうか。
これが一回ごとの人生のテーマです。
そして、それがクリアできると、次にもう一回生まれ変わるときに、そのトッピングの内容がきつくなります。
前回の人生よりも、厳しい条件を増やすのです。
一つの義務ということについてお話ししましたが、一つの権利についても、お話ししておかなければなりません。
地球上には何億種類もの生物が存在しています。
その何億もの生命の種類の中で、「感謝」という概念を使いこなすことのできる生物が人間です。
感謝をしてもいいよ、という権利であって、感謝は義務ではありません。
その権利を与えられた私たちは、ありとあらゆる現象を「感謝メガネ」という眼鏡を通して見ると、人生が全部、嬉しく楽しいものになってしまいます。
だから「感謝」は義務ではなく権利なのです。
そして、ヒトが感謝をした瞬間に「ヒト+感謝=人間」になります。
「人間」とは、社会の中で自分一人だけで生きているのではありません。
「ありがとう。みなさんのおかげです」といって生きるのを「人間」といいます。
人に対してだけではなくて、目の前にあるコップに対しても水に対しても、何に対しても感謝をすることができるのです。
しかもこの感謝はしなくてはいけないのではなくて、「感謝」という概念を使いこなしてもいいよ、というもの。
そうすると人生がものすごく楽しくて幸せになります。
人生でいろいろあったけれど、それも感謝という眼鏡を通してみたら全部感謝だよね、と言えるようになったときに、自分の人生が自分にとっていちばん楽になります。
自分が幸せに生きるためのアイテムとして、「幸せメガネ」「感謝メガネ」を神から与えられました。
自分一人の力で、努力して生きてきましたという人は、不思議なことに、なかなか神様から応援支援をいただけないようです。
でも感謝をしていると、この「感謝をしているヒト=人間」に対しては、神様も応援しようかな、と思うらしい。
結局、私たちは「感謝」という眼鏡を通してあらゆるものを見ると、それが不幸や悲劇ではなくて、実は感謝の元だった、ということに気がつきます。
もしこれを、自分の子どもたちに、
「私たちは唯一神によって感謝を許された生物なんだって。あなたも、それをせっかく感謝ができる生物として生まれてきたのだから、使いこなして死んでいかないと損よ」
と伝えることができたら、全ての子どもたちが、感謝に満ちた大人になっていくことでしょう。
『「人生を楽しむ」ための30法則』講談社
小林正観さんは、こう語る(『幸も不幸もないんですよ』マキノ出版より)。
『「生前(せいぜん)」という言葉があります。
「生まれる前」と書きます。
「生前、あのかたが使っていたものです」というような使い方をします。
意味としては、「生きていたとき」「死ぬ前」ということです。
常識的に考えると、「死前」と書かなくてはいけないはずでした。
似た言葉に、「大往生(だいおうじょう)」という言葉があります。
「往生」は死ぬこと、「大往生」は「安らかに穏やかに死ぬこと」です。
「往生」は、「生(の世界に)往(ゆ)く」と書きます。
これも、本来なら、「往死」「死(の世界)に往く」と書くべきところでした。
どうも、昔の人たちは、「あの世」があると思っていたようです。
さらに、「あの世」のほうが「ほんとうの生」の世界であって、こちらの世界は「仮の世」と思っていた節があります』
生まれ変わりがあるかどうかは、誰も分からないし、証明できない。
あの世がないと思っている人は、今生、悪の限りを尽くしても、あの世がないのだから、死後に罰(ばち)などは当たらないと思っている。
しかし、もし仮に死んでから、あの世があることが分かったら、「しまった。最悪だ!」とうろたえるだろう。
だが、生まれ変わりがあり、あの世もあると信じて、前世より今世と徳を積み上げ、人格を磨いてきた人にとっては、あの世があろうが、なかろうが関係ない。
仮にあの世がなかったとしても、何も「しまった!」と思うことはないからだ。
つまり、損得勘定から言っても、「あの世はある」「生まれ変わりはある」と信じたほうが得だということ。
人は、生まれたからには、必ず死ぬ、という定めを持っている。
損得勘定から言っても、「生まれ変わることが義務」だと思ったほうがいい。
また、この世に起こることには、いいとか悪いとか、幸とか不幸もない。
すべて、見方しだい、考え方しだいだ。
その根本にあるのが感謝。
感謝のメガネをかけてみれば、すべてが、当たり前ではない、スペシャルな、感謝すべきことに見えてくる。
「それがあったおかげで」という「おかげさま」の心だ。
感謝は、地球上の全生物のなかで、たったひとり、人間だけに与えられた権利。
この権利をしっかり行使するかどうかで、その人の運が決まる。
そして、死に往くとき、「ああ、いい人生だったな。楽しくて幸せな人生だったな」と感謝で死ねるかどうか。
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