プロフィール

2015年10月4日日曜日

無題

 『 政治家(をはじめ世の指導者たる)は、常に「政は正なり・・」の孔子の言葉を肝に銘記すべきである。
 事をなすには、正しいという確信がなければ真の力が出るものではない。その為には平常俯仰天地に恥じない生活をすることだ。
 人を治めようと思ったならば、まず以て己を修めなければならない。王道に即するとは、天徳に基づくということである。つまり自然と人間を一貫する真理に立たなければならぬということである。往々にしてそれを誤るから、人間はいろいろな悩みや失敗に苦しまなければならなくなる。その結果、文明そのものの中毒が今やどうにもならぬ状態になってきている。

 不幸にして今日、人心風俗は、折角進歩した学問、究明されている真理から背馳している。 親達は子供等を学校に入れるだけで、みずから教育しようとせず、教師は本来の使命を怠り、政治家は民衆に迎合して指導力を失い、世人は不義不正を傍看して氣概を亡くしている。
 世は益々大衆的となる。群衆心理の必然として、盲滅法になってゆく。「群行・群止に識見を看る」で、こういう時ほど指導者に識見の必要がある。しかもその識見を実際に行うに当って、よほどの忍耐力や叡智が要る。正に「喜に臨み、怒に臨んで、涵養を看る」である。時にはうまくゆくこともあろうが、多くは強い抵抗に遇わねばならぬ。それを悠然として堪えてゆくのが襟度というものである。「逆境・順境に襟度を看る」とはこれをいう。これあって始めて大事難事を双肩に荷なってゆくこともできる。「大事難事に担当を看る」所以である。
 これだけ儲けさせてやる、これだけ豊かにしてやるといっても、人間は決して満足するものではない。一利あれば一害あって、利というものは反面必ず害を持っている。だから、一方利があれば、一方害がある。少なくとも欲望があれば不満が出てくる。
 国家百年の大計なく、政治家、役人、企業家が、明日の我が身の保全ばかりに汲々としていては、歴史のどこかに"一時期奇跡的な経済繁栄を見せたアジアの小国"として名をとどめるだけとならないとは言えないのである。

 国家のためとか、民衆のためとか、奉仕とか、公僕とか、平生どれほど無欲で謙虚なことを口にしていても、いざ政権の争奪となると、またひとたび政権を取ったとなると、どう堕落しやすいか、これは誰も知っていることである。
 また、政治家は恐ろしく多忙である。(選挙区迎合等の)多忙や奔走というものがどんなに人間の心情を荒ませるかは言うまでもない。まして党派の中に伍して、対立や忿争に駆りたてられる生活がどんなものであるかは想像に余りがあろう。

 政治家の直接責任は比類なく重大である。もし現在政治家の一人でも多くが、何よりも先ず自己自身の精神革命、人間革命を行うことが出来れば、それこそ現代の暗黒に貴い光明を点ずるものである。
 かつての偉大な指導者達は皆 時代の風潮に屈しなかった人々であり、新しい時代の創造は、こういう信念あり勇氣ある人々の不屈の努力に因るものである。
 日本の危機に臨んで、有志者の雄健を祈る。 』


安岡正篤


☆☆☆


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