プロフィール

2017年5月31日水曜日

(「死にたい」「手首を切った」、そんな相談に水谷さんはどのように答えているのですか、の質問に)


「水谷です。君が死ぬのは哀しいです」


それだけです。


すると大体


「ごめんね、先生を哀しませて。でも死にます」


と返ってくる。


これでこの子は死にません。


(なぜです?)


意識が外へ向きます。


彼らの意識構造は閉鎖的で内へ向いていますから、それを外に向けさせる。


それだけでとりあえずは助かります。


そして僕は一つのお願いをします。


「周りのみんなに優しさを配ってごらん。何でもいいんだよ。お父さんの靴磨きでもいいし、洗濯物を畳むのでもいい」


「そんなことして何になるの」


「いいから、まずやってごらん」と。


二、三日後には、心ある親なら子どもの変化に気づきます。


「先生、お父さんが靴を磨いていたのを気づいてくれて、ケーキ買ってくれた。ありがとう」


というようなメールや電話がくる。


そこで今度は親と話します。


お母さんに毎晩一緒に寝て、触れ合ってください、とお願いするのです。


日本の小児科医の父と呼ばれた内藤寿七郎先生は、「子どもは三歳までに決まる」と言いました。


三歳までにどれだけ触れ合って、抱っこしたかで人生が決まると。


いま、子どもを全然抱いていないでしょう。


保育園に預けても、数人の先生では子ども全員を十分に抱くことはできない。


車ではチャイルドシートなんかに乗せて、全然抱いていないですよ。


たとえ十代になっても二十代になっても遅くはないから、お母さんに彼らと触れ合って、抱き締めてほしいとお願いするのです。


抱き合えばいいんです。


触れ合えばいいんです。


言葉は要りません。


大人たちは頭を使い過ぎますよ。


子どもたちが待っているのは、考えてもらうことじゃない。


そばにいてくれることです。


それを頭で考えて、言葉でこね繰り回すから、むしろ言葉で子どもたちを傷つけて追い込んでいる。


いま世の中、ハリネズミだらけだ。


教員と生徒も、親と子も、社会全体がそうです。


愛し合って認め合いたいのに、針を出し合う。


例えば、娘が深夜一時頃帰宅した。


親はもう泣きたいくらい心配なんですよ。


玄関のドアが開いた瞬間、本当は、「やっと帰ってきた。心配していたんだぞ」


と言いたいのに、「何やっていたんだ、こんなに遅くまで!?」と言ってしまう。


一方、娘は家に帰ったら、「遅くなってごめんね」と言おうと思っていたのに、親に強く言われたものだから、「うざいんだよ!!」と言ってしまう。


「何だ、その口の利き方は。おまえなんか帰ってくるな!」


「分かったよ、出てけばいいんでしょ!!」……。


素直になればいいんです。


そして、言葉を捨てればいい。


教育に言葉は要らないのです。


【水谷修(元高校教諭)より】




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押忍!





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