明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…
このシビアな時代を生き抜くのにもっとも必要な力は何か、それは精神の強さだ。
わが身にふりかかる不愉快な刺激やわずらわしい事柄などの"雑菌"に対して免疫をつけ、簡単にはへこたれないメンタル面のタフさをもつ。
自分にとって不愉快な雑菌的なものを拒否し、排除して生きるのでなく、あえて積極果敢に自分のなかに取り込んで、自己免疫力を高める。
そのような"心の免疫力"を、いまから習慣づけよう。
これを私は"雑菌主義"と名づけたい。
大学生を教えていてしばしば感じるのは、純粋であること、感じやすく傷つきやすいこと、ナイーブであることを美徳のように思って、いまの自分を守ろうとする人が多いことだ。
面倒くさいこと、わずらわしいこと、理解しにくいこと…自分にとって不愉快な刺激となるあらゆる物事を、極力避けようとする。
そのために物事の判断を間違えやすい。
本当にすべきことではなく、楽な方、より不快でない方を選んでしまうばかりに、結果として不利益を被(こうむ)っていることがしばしばある。
善悪の判断が誤っているというよりも、経験値の乏しさを感じることが非常に多い。
私自身、20歳前後の頃を振り返ってみると、やはり経験も心の耐性も足りなかった。
あの当時の自分といまの自分とのあいだで何がもっとも変化したのか。
エネルギーでいえば20歳頃のほうがはるかにエネルギッシュだった。
しかし人間としての強さでいえば、いまの私のほうが何倍もタフだ。
あの頃よりもいまのほうがはるかに多い量のさまざまなストレスや壁にぶち当たっているのにもかかわらず、日常的にこなせている。
自分自身で心の安定感をコントロールできている自信がある。
20有余年の間にいろいろな経験を積み、自己免疫力がついた。
それらが抗体となっていて、対応が速やかにできるからである。
現代日本人は、菌の繁殖に非常に神経質だ。
巷(ちまた)で流行っている抗菌・除菌グッズの豊富さをみてもそれはよくわかる。
近年、アレルギーの症状を抱える人の数がたいへん増えているそうだが、親が神経質になりすぎて、赤ちゃんのときに細菌を極力排したクリーンな環境で育っていると、かえってアレルギー体質になりやすいともいわれる。
人間も、置かれた環境下自己免疫力を高めながら生きていくことがもっとも自然で望ましい。
微生物などいてほしくないと思うところにいるのが「雑菌」であるとするならば、私たちの日常生活には、「こんな厄介なこと、不愉快なことは起きないでほしい」と願うようなことばかりだ。
社会で生きていくことそのものが、いわば雑菌生活なのだ。
だが、自分にとって厄介でわずらわしくて不愉快なことから学ぶものは実に多い。
そもそも、仕事というのはわずらわしさの連続だ。
種々さまざまなわずらわしさが、わらわらとふりかかってくるが、それを無視するわけにはいかない。
その雑菌に慣れることで、仕事ができるようになっていき、人間として成熟していく。
成熟するとは、資格試験に通って次のステージにレベルアップする、といったわかりやすいものではなく、地道な抵抗力の蓄積によって培(つちか)われる。
『雑菌主義宣言!』文藝春秋
川を河川改修して周りをコンクリートで固めてしまうと、よどみや、浅瀬や、急深(きゅうぶか)、淵(ふち)などがなくなり、魚が棲むことができなくなるという。
また、曲がった川をまっすぐにしてしまうと、川のまわりに広がる葦(あし)などの湿原もなくなってしまう。
かくして、川はドブと化してしまう。
川の見た目をきれいにし、扱いやすくするために、コンクリートで固める。
だが、人工物を使えば使うほど、自然からは遠ざかる。
これは川だけの話ではない。
雑菌を嫌い、抗菌グッズでまわりを固める。
しかし、嫌なこと、つらいこと、不愉快なことがあり、人はそれを乗り越えることによって伸びる。
だからこそ、雑物、不純物、異分子、異端者といった異物を排除してはならない。
「川は曲がっているからいい」
雑菌主義でゆきたい。
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押忍!
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