臨済宗円覚寺派管長、横田南嶺氏の心に響く言葉より…
私は先日ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんとお会いして、マザー・テレサについてお話を聞くことができました。
渡辺さんは『置かれた場所で咲きなさい』という本がベストセラーになった方で、ノートルダム修道女会のシスターでもいらっしゃいます。
マザー・テレサが来日した際、渡辺さんは通訳としてマザーに付き添ったそうです。
私が渡辺さんに「来日中のマザーで、一番印象に残っていることは何ですか?」とお聞きしたところ、次の三つのエピソードをあげてくださいました。
まず、マザーに泊まっていただくために、一番いい部屋を用意した時のこと。
疲れをとってゆっくり休んでいただこうと、ベッドも完璧に整えておいたのですが、朝、マザーが出かけたあとの部屋を見ると、ベッドはまったく使われていませんでした。
マザーは床の上で寝ていたそうです。
二つ目のエピソードは、お祈りの時の話です。
マザーはどんなに多忙で、疲労し、夜遅くなった日でも、宿舎に戻って来ると、必ず「今日はまだお祈りをしていない」と、ひとりで教会に行って、一時間以上お祈りをしていたそうです。
冬の寒い時ですから、教会の中は冷え切っています。
マザーの体を心配してシスターたちが暖房をつけておきました。
するとマザーは「暖房を切ってください」と言い、冷たい床の上で、素足になって一時間以上お祈りをしていたといいます。
三つ目のエピソードは、笑顔についてです。
マザーは渡辺さんに「私はどんな時でも笑顔で写真に写るようにしています」と話しました。
それはマザーと神さまとの約束だからだそうです。
カメラマンの中にはぶしつけな人もいます。
目の前でいきなりフラッシュをたいたり、了解もなく、パシャパシャ写真を撮る人もいます。
しかしマザーはいやな顔ひとつせず、どのカメラマンにも必ず笑顔で応えるのです。
なぜなら、マザーは神さまにあるお願いをしていたからです。
「本当はシャッターを押されるたびに、私は不愉快な気持ちになります。
でもそれの気持ちを表さず、必ず笑顔で写るようにしてます。
その代わり、私が笑顔をつくるたびに、神さまのお近くにいる誰か貧しい人をひとり救ってあげてください、と私は神さまとそういう約束をしているのです」
いつも笑顔でいる理由はこれだったのか。
渡辺さんは誰もいないところで、マザー・テレサからこの話を打ち明けられて感動した、と言っていました。
人々のために祈りを捧げるのは、高いところに立って上から施すことではありません。
自ら底辺におりて行って、裸足になって貧しい人たちと痛みや苦しみを共有することです。
そこにしか本当の祈りはない、ということを、マザー・テレサは身をもって教えてくれていたのです。
由緒ある武家の出身だった一遍上人も、すべてを捨てて、民衆と一緒にボロをまとい、ひたすら素足で地面を踏みしめながら、ひとりひとりに念仏の札を配りました。
潔くすべてを捨て、ともに素足で貧しい人たちの中に飛び込んでいった方たちの無私、無欲の献身は、物欲にまみれた私たちに本当の愛、本当の豊かさとは何かを教えてくれているのではないでしょうか。
『二度とない人生だから、今日一日は笑顔でいよう』PHP研究所
坂村真民先生にこういう詩がある(「本当に偉い人」本書より)。
「本当に偉い人は
マザー・テレサのように
素足にサンダルを履き
極貧最下の人たちに
一生を捧げる人である」
ついつい我々は日頃、暑いの、寒いの、お金がないの、時間がないの、と文句を言ったり、すぐに不機嫌になったりしてしまう。
そんなとき、マザー・テレサのことを思うと、背筋がピシッと伸びる。
偉人伝が大人にも必要な理由はここにある。
本当に偉い人を見ると、我々は、本来の使命や志や夢を思い出し、このままではダメだと発奮し、そして覚悟が決まる。
背筋をピシッと伸ばして生きる人でありたい。
■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪
http://www.facebook.com/hitonokokoro
■【人の心に灯をともす】のブログはこちら
http://ameblo.jp/hiroo117/
シェアさせていただきました。
押忍!
0 件のコメント:
コメントを投稿