安岡正篤師の心に響く言葉より…
《無名にして有力なる人たるべし》…無名有力
諸君は宜(よろ)しく平凡にして、その味わい飽(あ)かざる人たるべし。
無名にして有力なる人たるべし。
もしおのずからにして、奇抜或いは有名となることあらば、力(つと)めて捉われざる工夫をなすべし。
(送別の辞…日本農士学校第十一期卒業式)
『安岡正篤人生手帖』致知出版社
神渡良平氏が「無名有力」についてこう書いている。
『安岡正篤先生は勉強会でよく「有名無力、無名有力」と言われた。
有名無力、無名有力とはこういう意味だ。
「若いときには誰もがひとかどの人物になりたい、立派な会社を作り上げたいと一所懸命努力をします。
だんだん頭角を現し、人々の評価もいただけるようになって、名が上がって有名になってきます。
会社の規模も大きくなってきます。
そうなるとちょっとした名士になり、講演を頼まれたり、新聞に原稿を書いたり、テレビに出演したりして、だんだん忙しくなってきます。
そしていつのまにか自分を掘り下げる時間すらなくなって、有名ではあるけれども無力な人間になり下がることが多いものです。
しかし、世の中には、新聞、雑誌に名前が載るわけではない、テレビのスポットライトがあたるわけでもないけれども、頭が下がる生き方をしている方がいらっしゃる。
無名だけれども有力な生き方をしていらっしゃる』(下座に生きる・致知出版社)より
行徳哲男師は「感奮語録」の中でこう語っている。
味わいのある人とは、「素・朴・愚・拙」の人。
「素(そ)」
素のよさは何も身につけない。
木を見るとわかる。
枝葉をつけた木は見栄えはいいが、滋養は枝や葉が吸ってしまい、幹は弱る。
枯れ木は見栄えこそないが、実に力強い。
これこそが「素」の魅力
「朴(ぼく)」
言うなれば泥臭さ。
柴田錬三郎がシベリア抑留中の話を書いている。
そこに極寒のなかで靴下をしばしば盗まれたという話がある。
盗人はインテリや育ちのいい人間だったという。
それに対して「俺の靴下を履けよ」と情けを示したのは、魚屋のおやじやヤクザ者だったそうです。
限界状況で情を示せる人間には、どこか朴訥な田舎っぽいところがあると柴田錬三郎は言っています。
「愚(ぐ)」
アホになれる、馬鹿になれることそういう人物の下にはたくさんの人が集まる。
この人のためにと皆が思う。
これが本当の利口というもの。
目から鼻に抜けるような才たけた人間は慕われないし、人も寄り付かない。
利口は馬鹿であり、馬鹿は利口なのだ。
馬鹿こそ力。
馬鹿力のゆえん
「拙(せつ)」
下手くそのこと。
下手くそな人間は魅力的。
今の時代、上手に生きる要領居士(こじ)があまりに多すぎる。
ゆえに人間の魅力がなくなっている。
講演会などで、流れるように話をし、知識や情報も抜群にあるのだが、なぜか胸に響かない人がいる。
反対に、話はつっかえつっかえでヘタだが、妙に魅力的で味のある話をする人がいる。
「平凡にして、その味わい飽(あ)かざる人たるべし」
無名有力の人を目ざしたい。
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押忍
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