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人生二度なし――小学生諸君に
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私は、愛知県の知多半島の生まれですが、
三歳の時に森家にもらわれました。
そして正月の元日には、きまったように、
八キロくらい離れた祖父のところへ、
新年のあいさつに行くことになっていました。
ちょうど皆さんと同じ六年生の正月、
養父に連れられてあいさつに行きました。
当時祖父は、愛知県の県会議長をしていました。
もうかなりの年で、白いひげをはやしていました。
私が
「明けましておめでとうございます」
と父とともにあいさつしたら、
「お前は今年いくつになったか」
と聞かれたので、私は
「はい、十三(数え年)になりました」
と答えました。
すると祖父は
「そうか、十三という年は
非常に大事な年だが知っているか」
といいました。
私は、そんなことなんか知りませんので、
「知りません」といったら、
祖父はかたわらの硯で墨をすって、
巻紙にサラサラと字を書きました。
それは、あとで教わったのですが、
頼山陽の詩でした。
(頼山陽と板書される)
これは徳川時代の三百年のうちで一番有名な詩人です。
ところがそれは、この人が数え年十三の時につくった詩で、
漢字ばかりなので私には読めないのです。
そこで祖父は読み方を教えてくれ、
意味も簡単に教えてくれました。
五十五年たったいまでも、
私はこれを暗誦できます。
「十有三春秋 行くものはすでに水の如し
天地始終なく 人生生死あり
いずくんぞ古人に類して
千載青史に列することをえんや」
こういう詩です。
皆さんにこれをわかりやすくいうと、次のような意味です。
「ああ、いつの間にやらもう十三になってしまった。
ボヤボヤしてはおられぬ。
時は流水のように刻々と過ぎ去っていくが、
宇宙にははじめもなくおわりもない。
しかし人間の一生には生死があって、
短いものである。
どうしたら、昔のえらい人とならんで、
歴史にその名の残るような人間になれるであろうか」
という意味の詩です。
どうです皆さん!!
大した詩でしょう。
私は、ガーンとくらいましたね。
なぜ、ガーンときたかというと、
自分と同じ年に、頼山陽という詩人は、
もうこれだけ大した志を立て、
これほどの決心をしているのです。
(志と板書される)
私にはその時のようすが、
いまでも一週間くらい前のことのようにあざやかに、
頭の中に残っています。
祖父の白いひげ、凛と座っているようす、
知多半島の丘の松林、部屋から見える
衣浦港の白い帆、海の青さ、松の緑とともに……。
その時まかれた種が、爾来五十五年たって、
私の体の中で相当の大木になっているのです。
そしてその木にたくさんの実がなりだしたから、
その実を皆さん方におすそわけしているわけです。
日本中の五年生の人に、
一人でも多くこの私の中になっている見えない実を、
わけてあげたいのです。
その種はどういう種かというと、
「人生二度なし」という種です。
人間の一生は、やり直すわけにはいかぬから、
できるだけ早くから決心して、
一生をつらぬく人になって欲しいということです。
いままで私の申したことは、いまのうちに、
人生の種まきをせねばいけないということです。
そして、私が祖父から人生の種をまかれた話でした。
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目 次
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第1章「生きる」人間としての土台づくり
人生二度なし ――小学生諸君に
志を立てて生きる ――立志式の日に
全力をあげて生きる ――悔いのない中学生活を送るために
人生を生きる態度 ――大学生のきみたちへ
第2章「導く」 上に立つ者の心構え
生を教育に求めて ――新人教師におくる
人間としての生き方の種まき ――道徳観の育て方
親自身のしつけから ――家庭教育の極意
第3章「磨く」 先人に学ぶ
ペスタロッチーに学ぶもの ――教育の原点にたちかえろう
私の好きな三人の日本人 ――中江藤樹・宮本武蔵・二宮尊徳
第4章 私の生涯の歩み
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全297ページ。
ずしりと重みのある一冊
『真理は現実のただ中にあり』
森信三・著
致知出版社様メルマガよりシェアさせていただきました。
押忍
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