小林正観さんの心に響く言葉より…
九州でのある講演会で、定刻になっても半分しか人が集まらず、主催者の方が、「どうして九州の人間はこんなに時間にルーズなんでしょうね」と嘆いたことがありました。
それを聞いた私は、笑ってこのように話しました。
「定刻なのに半分も来ない、のではなくて、定刻にもかかわらず半分も来てくださっている。ありがたいですよね」
つまり、来てくれたほうに目を向けたら、「ありがとう」です。
来ていないほうの半分に、「まだ来ないじゃないか」と不平不満を言うよりも、来ている人に感謝するほうがいいということです。
同じ現象でも、感謝ができる人とできない人がいます。
私の話を聞いて、その主催者の方は、「自分は正観さんのお話を何十回も聞いているのに、まだイライラしてしまう人間でした」とおっしゃっいました。
それから、その人はまったくイライラしなくなったということです。
面白いことに、定刻に集まらなくてもイライラしなくなったら、その次の会からは、定刻には三分の二の人が来るようなりました。
イライラしているときにはなかなか集まらなかったのに、イライラしなくなったら、集まりもよくなり、人数も増えているそうです。
地球と宇宙を味方につけるためには、「自分の思いどおりの現象が100点満点になっていないじゃないか」と文句を言うのではなく、80点の現象があるのなら、その80点に、手を合わせて感謝すること。
『神さまに好かれる話』五月書房
小林正観さんは本書の中でこう語る。
『ある歌手が、コンサートの直前に客席を見て、空席があることに腹を立てて帰ったことがあったそうです。
当然、コンサートは中止。
3000人ほどの規模の会場で2500人ほど入っていたそうですから、充分にお客さんは集まっていたと思います。
ただ、空席があったからそれが気に入らないというので、来てくれた人に対して自分の腹立たしさをぶつけるのは、実は本人が考えている以上に損です。
そういうことをしていると、そのうち誰からも信用されなくなります。
興行主から見ると、もうそんな危険のある人には次から頼まないようにしようと思うに違いありません。
目の前に起きている現象に対して感謝ができ、喜びを見い出すことができ、そこに幸せを感じられるようになると、自分自身がラクで楽しい、ということです。
なおかつ、地球と宇宙が味方になってくれます。』
人は、偉くなったと錯覚したり、その状態に慣れてしまうと、傲慢になる。
はじめは、ほんの数人のお客様が来てくれただけで、嬉しくて涙が出そうになった、という初心の素直な気持ちを忘れてしまう。
不満が爆発したり、不機嫌になる人は、今ある幸せに目を向けられない人。
今、生かされていることの「ありがたさ」を忘れてしまっている。
「ありがとう」の反対は「あたりまえ」だという。
「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」。
「有(あ)ること難(かた)し」とは、有ることがまれである、めったにない事にめぐりあうようなこと、つまり「奇跡」のようなこと。
奇跡の反対は、「あたりまえ」。
我々は、毎日起こる出来事を当たり前だと思って過ごしている。
「歩けるのが、あたりまえ」
「目が見え、耳が聞こえるのが、あたりまえ」
「毎朝目覚めるのが、あたりまえ」
しかし、地震にあったら、病気になったら、事故にあったら、そんなあたりまえの毎日はあとかたもなく吹き飛んでしまう。
今、目の前にある幸せに手を合わせて感謝できる人でありたい。
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押忍
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