実は私石黒の父親も今から約40年程前、私が極真会館に入門後程なくして極真の道に入門致しました。
(当時の極真で3級の緑帯まで取得)
(当時40年程前の極真空手。
道場内での決まり事は現在の比ではなく絶対であり、
親子であろうが少年部であろうが先に入門した方が先輩、
親父も道場の中では私の事を先輩としてしっかりと立ててくれておりました。)
当時地方支部とはいえ約40年程前の極真空手道場、
現在とは確かに厳しさが厳かさが段違いに違っておりました。
(あの当時の極真を知っている大先輩方なら首を大きく縦にに振っていただける事実であると確信致します。)
勿論、
組手に於いてもサポーターなど一切なく、
一緒に稽古をしている私の目の前で、
親父は汗みどろ血まみれになりながら稽古を続けておりました。
(時には私の目の前で悶絶して苦しんで倒れている親父の姿を何度も見ました。)
その親父の壮絶な姿を見ながら感じながら、
いわゆる極真 少年部時代を私は過ごしたのであります。
(今現在の極真空手道場しか知らない方は信じられないかも知れませんが、
当時の極真では少年部は単なるお飾り、
道場には私の他に1〜2名の少年部が在籍しているに過ぎませんでした。)
そんな状態で親父と一緒に汗をかき毎回毎回の稽古をこなしておりました。
賛否両論あるとは思いますが、
そんな親父の後ろ姿を見せる「無言の教育」方法
いまこの歳(48歳)になって果たして私に出来るのだろうか?、と日々自問自答を繰り返しております。
実は私の親父は教育者(高校教師、現在は定年を迎えております)であります。
皆様におかれましては随分と私が熱心に教育されたとお思いになるかもしれませんが、
私の記憶に残る範囲では一度も「勉強しろ」とか「稽古しろ」とか言われたことはありません。
(ただ人の道に外れた事は絶対に許されれませんでした。)
私の記憶に残っているのは、
ただただ汗みどろ血まみれになりながら、
私と一緒に稽古を黙々と続けている親父の後ろ姿のみなのであります。
「後ろ姿を見せる無言の教育」
子育てにおける所の「父親」のスタンスはひょっとしたらこれだけで良いのではないか、とさえ最近考えてしまっております。
(勿論、親父は決してただそれだけで無く、
自分が道から外れそうになる度に現在でも厳しく叱咤してくれ、
力尽くで正しい道へ引き戻してくれております。
ありがとうございます!(^^))
「率先垂範」
使い古された言葉ではありますが身に染みている今日この頃であります。
そういえば、
師匠 大山倍達総裁も私が内弟子時代の3年間、
特別な用事が無い限り週に3回〜4回は現場道場にて稽古を付けて下さいました。
そしてその稽古中、
門下生の誰よりも汗をかき身体を動かし情熱的に稽古をされていたのも大山総裁でありました。
いつもありがとうございます。
今後ともどうか宜しくお願い致します。
押忍 石黒康之
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