【人生を笑顔で生きる】
元ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子氏の心に響く言葉より
ある時、一人の大学生から葉書をもらいました。
「シスターの心には、波風が立つことはないのですか。いつも笑顔ですが」
私は返事を書きました。
「とんでもない。波風が立つこともあります。ただ、自分で処理して、他人の生活まで暗くしないように、気をつけているだけなのです」と。
シスターになったからといって、人間である限り、いつも心が平穏であるはずはありません。
心ない人の言葉や態度に傷つき、思うようにいかない物事に心騒がせ、体の不調から笑顔でいることがむずかしいこともあります。
生来、勝気な私は、特に管理職という立場にいることもあって、人前では明るく振る舞い、笑顔でいるように心がけています。
暗い顔をしても物事がうまくいくわけではなし、他人の生活まで暗くする権利はないと、自分に言い聞かせていることは確かです。
生まれつき笑顔の少なかった私が、笑顔を多くし始めたのは、誠にお恥ずかしいきっかけからでした。
20代に入って、アメリカ人と一緒に働くようになったある日、1人の男性職員から、「渡辺さんは笑顔がすてきだよ」といわれたことによるのです。
ほめるということは大切なのですね。
笑顔で生きるということに、もう少し自分らしい意味を与えるようになったのは、30代になってからの「ほほえみ」という詩との出合いでした。
「お金を払う必要のない安いものだが、相手にとっては、非常な価値を持つものだ」という言葉に始まる詩は、次のように締めくくられていました。
もしあなたが 誰かに期待した
ほほえみが得られなかったなら
不愉快になる代わりに
あなたの方から ほほえみかけて ごらんなさい
ほほえみを忘れた人ほど
それを必要とする人は いないのだから
この詩との出合いは、私の笑顔の質を変えました。
チャームポイントとしての笑顔から、他人への思いやりとしての笑顔、そしてさらには、自分自身の心との戦いとしての笑顔への転換の始まりとなったのです。
それは、ほほえむことのできない人への愛の笑顔であると同時に、相手の出方に左右されることなく、私の人生を笑顔で生きるという決意であり、主体性の表れとしての笑顔でした。
そして、この転換は、私に2つの発見をもたらしてくれました。
その1つは、物事がうまくいかない時に笑顔でいると、不思議と問題が解決することがあるということです。
お姑さんとうまくいかない卒業生が、「シスター、本当ですね。注意された時に、笑顔で『ありがとうございました』というようにしてから、二人の間がとてもよくなったのですよ」と、報告してくれました。
もう1つの発見は、自分自身との戦いの末に身についたほほえみには、他人の心を癒(いや)す力があるということです。
とってつけたような笑顔でもなく、職業的スマイルでもなく、苦しみという土壌に咲いたほほえみは、お金を払う必要のないものながら、ほほえまれた相手にとっては大きな価値を持つのです。
ほほえまれた相手を豊かにしながら、本人は何も失わないどころか、心豊かになります。
不機嫌は立派な環境破壊だということを、忘れないでいましょう。
私たちは時に、顔から、口から、態度から、ダイオキシンを出していないでしょうか。
これらは大気を汚染し、環境をよごし、人の心をむしばむのです。
笑顔で生きるということは、立派なエコなのです。
ある日、修道院の目上の方が私にいいました。
「シスター、何もできなくなってもいいのよ。ただ、笑顔でいてくださいね」
ありがたい言葉です。
この同じ言葉を、年齢にかかわりなく、かけ合ってゆきたいものです。
《何もできなくていい。ただ笑顔でいよう(笑顔でいると、不思議と何事もうまくいく。ほほえまれた相手も、自分も心豊かになれるから)》
『置かれた場所で咲きなさい』幻冬舎
「人間の最大の罪は不機嫌である」と言ったのは詩人のゲーテ。
不機嫌というのは伝染するからだ。
次々と人を不機嫌にしてしまうパワーを持っている。
が、反対に笑顔も伝染する。
一人が笑顔になれば、まわりの人も自然と笑みがこぼれる。
「笑ってあげなさい。笑いたくなくても笑うのよ。笑顔が人間に必要なの」( マザー・テレサ)
不機嫌と笑顔と、どちらが人にとって必要かは言うまでもない。
人生を笑顔で生きてゆきたい。
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元ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子氏の心に響く言葉より
ある時、一人の大学生から葉書をもらいました。
「シスターの心には、波風が立つことはないのですか。いつも笑顔ですが」
私は返事を書きました。
「とんでもない。波風が立つこともあります。ただ、自分で処理して、他人の生活まで暗くしないように、気をつけているだけなのです」と。
シスターになったからといって、人間である限り、いつも心が平穏であるはずはありません。
心ない人の言葉や態度に傷つき、思うようにいかない物事に心騒がせ、体の不調から笑顔でいることがむずかしいこともあります。
生来、勝気な私は、特に管理職という立場にいることもあって、人前では明るく振る舞い、笑顔でいるように心がけています。
暗い顔をしても物事がうまくいくわけではなし、他人の生活まで暗くする権利はないと、自分に言い聞かせていることは確かです。
生まれつき笑顔の少なかった私が、笑顔を多くし始めたのは、誠にお恥ずかしいきっかけからでした。
20代に入って、アメリカ人と一緒に働くようになったある日、1人の男性職員から、「渡辺さんは笑顔がすてきだよ」といわれたことによるのです。
ほめるということは大切なのですね。
笑顔で生きるということに、もう少し自分らしい意味を与えるようになったのは、30代になってからの「ほほえみ」という詩との出合いでした。
「お金を払う必要のない安いものだが、相手にとっては、非常な価値を持つものだ」という言葉に始まる詩は、次のように締めくくられていました。
もしあなたが 誰かに期待した
ほほえみが得られなかったなら
不愉快になる代わりに
あなたの方から ほほえみかけて ごらんなさい
ほほえみを忘れた人ほど
それを必要とする人は いないのだから
この詩との出合いは、私の笑顔の質を変えました。
チャームポイントとしての笑顔から、他人への思いやりとしての笑顔、そしてさらには、自分自身の心との戦いとしての笑顔への転換の始まりとなったのです。
それは、ほほえむことのできない人への愛の笑顔であると同時に、相手の出方に左右されることなく、私の人生を笑顔で生きるという決意であり、主体性の表れとしての笑顔でした。
そして、この転換は、私に2つの発見をもたらしてくれました。
その1つは、物事がうまくいかない時に笑顔でいると、不思議と問題が解決することがあるということです。
お姑さんとうまくいかない卒業生が、「シスター、本当ですね。注意された時に、笑顔で『ありがとうございました』というようにしてから、二人の間がとてもよくなったのですよ」と、報告してくれました。
もう1つの発見は、自分自身との戦いの末に身についたほほえみには、他人の心を癒(いや)す力があるということです。
とってつけたような笑顔でもなく、職業的スマイルでもなく、苦しみという土壌に咲いたほほえみは、お金を払う必要のないものながら、ほほえまれた相手にとっては大きな価値を持つのです。
ほほえまれた相手を豊かにしながら、本人は何も失わないどころか、心豊かになります。
不機嫌は立派な環境破壊だということを、忘れないでいましょう。
私たちは時に、顔から、口から、態度から、ダイオキシンを出していないでしょうか。
これらは大気を汚染し、環境をよごし、人の心をむしばむのです。
笑顔で生きるということは、立派なエコなのです。
ある日、修道院の目上の方が私にいいました。
「シスター、何もできなくなってもいいのよ。ただ、笑顔でいてくださいね」
ありがたい言葉です。
この同じ言葉を、年齢にかかわりなく、かけ合ってゆきたいものです。
《何もできなくていい。ただ笑顔でいよう(笑顔でいると、不思議と何事もうまくいく。ほほえまれた相手も、自分も心豊かになれるから)》
『置かれた場所で咲きなさい』幻冬舎
「人間の最大の罪は不機嫌である」と言ったのは詩人のゲーテ。
不機嫌というのは伝染するからだ。
次々と人を不機嫌にしてしまうパワーを持っている。
が、反対に笑顔も伝染する。
一人が笑顔になれば、まわりの人も自然と笑みがこぼれる。
「笑ってあげなさい。笑いたくなくても笑うのよ。笑顔が人間に必要なの」( マザー・テレサ)
不機嫌と笑顔と、どちらが人にとって必要かは言うまでもない。
人生を笑顔で生きてゆきたい。
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