「稽古するよりしょうがない」
自分が好きで入った道ですからね、人に勧められてやっているわけじゃない。
そりゃあ波乱万丈(はらんばんじょう)の人生ではあったんです。
でも、やっぱり周りの人たちに支えられた面がずいぶんあるんですよ。
今、77歳ですが、高座まで自分の足で歩いて行って喋(しゃべ)れる体力と気力さえあれば生涯現役でいたいと思っています。
だって私たちに終点、到達点っていうのはないんですもん。
私たちが到達する時はいつか、目を瞑(つむ)った時ですよね。
これはあらゆる人に言えることじゃないでしょうか。
だから「もう俺は頂上へ登っちゃったんだ」と思っているやつは絶対にダメだと思う。
転がる一方ですよ。
中学三年の11月に、卒業を待ちきれなくて、古今亭今輔師匠のもとに飛び込んじゃったんです。
その頃、今輔師匠からこう言われたことがあるんです。
「苦労しなさい。ただ、何年かして振り返ってみた時に、その苦労を笑い話にできるように努力しなさい」
苦労の壁をどう乗り越えるか、どう突き破るか、それも一つの勉強だと。
若い時には師匠の言葉の真意は分かりませんでしたけど、いまになってみると大変有り難い言葉だと思います。
私が大切にしている言葉に「芸は人なり」というのがあります。
薄情な人間には薄情な芸、嫌らしい人間には嫌らしい芸しかできないんです。
だから、なるたけ清楚(せいそ)な、正直な人間にならなきゃダメだって。
それが芸に出てくる。
そのためには、稽古するよりしょうがないですね。
我われはもう稽古以外には何もない。
「噺百篇」という昔からの教えがありますよ。
一つの噺は百回やらないと自分のものにならないと。
私はいまでも最低一日一回は稽古します。
他の用事がない日は、お昼の12時半から夕方の5〜6時までは稽古の時間と決めているんです。
その間、自分の部屋へ籠(こも)っちゃう。
カミさんに言いうんです。
「いても、いないよ」と。
電話が掛かってきても、「いません」って断ってもらう。
稽古の最中に電話を取り次がれたりなんかしたら稽古にならないですからね。
人間の人生っていうのは短いもんですよ。
だからこそ自分で選んだ道は一途(いちず)に進めと。
それ以外には何にもないな。
ですから、ただただ落語をやるよりしょうがない。
"落語の道に終わりなし。目を瞑る時まで磨き続ける"
出典元:(月刊致知 2014年4月号 致知出版社)
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押忍!
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