【「生きざま」を見せることで誤解を解く】
小林正観さんの心に響く言葉より…
忠臣蔵(ちゅうしんぐら)の「四十七士(しじゅうしちし)」の中に神崎与五郎(かんざきよごろう)という人がいます。
彼は浪人になってから「美作屋善兵衛(みさくやぜんべえ)」と名乗り、吉良(きら)家の内情を探っていました。
ある日、屋台で隣り合わせた町人に「あんたは、元はおさむらいだね。どこの国の人だね」と尋ねられた与五郎は、「播州(赤穂)だ」と答えました。
当時は「浅野家の家臣たちがあだ討ちをするのではないか」というのが町の噂(うわさ)になっていて、町人も「きっとやってくれるんだよな」と与五郎にからみます。
むろん討ち入りの準備は進んでいました。
しかし、四十七士には「決して計画を人に話さない」という誓いがありますから、「いや、主君のあだ討ちなど、誰もそんなことは考えていない」と答えるしかありません。
「意気地(いくじ)のない話だ…」と彼の名前を聞いた町人は、お酒の勢いもあり、与五郎の頭に冷や酒をドボドボかけ、「それこそ寒酒もよかろう(神崎与五郎)」だ」という言葉を残して店を出ていきました。
その後、吉良邸に討ち入って切腹を命じられた四十七士の中にはもちろん与五郎もいました。
町人は墓前に頭をこすりつけて謝り、一生彼の墓の世話をしたそうです。
"生きざま"を見せることで与五郎は誤解を解き、町人に「わかってもらった」のでした。
《誤解されているときには、これからの「生きざま」を見せることで誤解を解く。「いつかはわかってくれる」と信じられれば、弁解や言い訳がずいぶん減っていく。》
『心を軽くする言葉』イースト・プレス
江戸時代の名僧、白隠禅師の逸話がある(『君の霊格を高めよ』無能唱元)より
『松蔭寺の門前に住む財産家の娘が身ごもってしまい、父親から、だれの子かと激しく責めたてられ、つい、白隠禅師の子だといってしまう。
激怒した父親はその赤ん坊を抱いて松蔭寺にやってきて、「今まで尊敬していたが、人の娘に手をつけるとはとんだ生ぐさ坊主だ。さあ、この赤ん坊を引きとってくれ」と大声ののしって帰って行ってしまった。
禅師は別に怒る風もなく、その赤ん坊をそだて始めた。
それで禅師の信用はすっかりなくなり、信者も弟子も去って、松蔭寺はすっかりさびれてしまった。
禅師は赤ん坊をとてもかわいがり、村々を托鉢して行く。
村人の中には禅師の姿を見ると嘲笑し、石を投げたり、塩をまいたりする者もあった。
ある雪の日、赤ん坊を抱いて托鉢をしている禅師の姿を見ていたその娘は、ついに耐えきれなくなって、ワッと泣き出すと、父親に真実を打ちあけ、あれは白隠さんの子ではない、と言った。
仰天した父親は、禅師のもとへ走り、平あやまりにあやまった。
禅師は、初めと同じように、別に怒る風もなく、「ああそうか、父がいたか。よかったな」といって、その赤ん坊をかえした。
このことがあってから、以前にも増して信者や弟子が松蔭寺に集まるようになったという』
「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とまでうたわれ、500年に一度の天才と称されたのが白隠禅師。
生涯を墨染(すみぞ)めの衣で過ごしたといわれる。
誤解を受けても、一切言い訳をしない。
そして、誤解は行動で解く。
しかしながら、凡人にはこのことがなかなかできない。
ついつい、言い訳をしたり、大声で自分の正当性を主張してしまう。
「いつかはわかってくれるだろう」と信じ…
「生きざま」を見せることで誤解を解きたい。
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