最高の味を求めて、86歳のいまも
酒造りに余念のない農口尚彦さん。
その腕前から「酒造りの神様」と
称されるほどですが、造り手の原点は、
20代の頃に出逢った恩師の存在がありました。
致知出版社の人間力メルマガ 2019.1.11
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農口 尚彦(農口尚彦研究所杜氏)
※『致知』2019年2月号【最新号】
※特集「気韻生動」P48
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私の人生で最も大きな出逢いと言えば、
私を杜氏として迎え入れてくださった
菊姫合資会社(石川県)の柳辰雄社長との出逢いです。
私は山中正吉商店で4年間働いた後、
三重県と静岡県の酒屋でそれぞれ4年間修業を積み、
28歳で菊姫の杜氏になりました。
柳社長は明治の生まれで、当時50歳前後でした。
小さい頃から体が弱く、家業を継ぐとは思っていなかったそうですが、
先代が倒れたのを機に、勤めていた銀行を辞めて戻ってきたんです。
苦労人であり、実に素晴らしい人間性の持ち主でした。
あの方の下なら、もう120%完全燃焼したいなぁ
という気持ちになれるんです。
──徳望の篤い経営者だったのですね。
もうね、謙虚で我欲が全然ない。
柳社長はしょっちゅうこう言われていました。
「俺は酒も飲めんし、酒造りも分からん。
とにかくお客さんに喜んでもらうために、
いい原料を買ってやるから、お客さんがこれはうまいって
買いに来てくれる酒を造ってほしい」
と。類は友を呼ぶと言いますけど、そういう社長ですから、
社員も取引先も同じように我欲のない人ばかり集まってくる。
「商売は儲けてなんぼや」って感じの人は一人もいない。
そうやって高い原料を使って、手間隙をかけて、
いい酒を造り続けた結果、ある時から東京の市場で
菊姫に高値がつくようになり、どんどん売れて
利益が出るようになったんです。
私はそれを見ていて、「なるほど、
商売というのはこういうものなのか」と感じました。
金儲けを前提にして商売するところへは、
全然お金が流れていかない。けれども、お客さんを大事にして、
喜んでもらおうと考えて商売していると、
たとえ一時的には採算の合わないものを造っていても、
最後は必ず人もお金も押しかけてくる。
──まさに商売繁盛の極意と言えますね。
はい。私自身もうまい酒を造って、
一人でも多くのお客さんに喜んでもらいたいっていう
ことしか頭にないんですよ。
だから、いまでもファンの方に囲まれて、
仕事をさせてもらっているんだと思います。
そういう意味で、柳社長は私の人生の基礎を
築いてくださった恩師に他なりません。
【『致知』のキーワード】
・金儲けを前提にして商売するところへは、
全然お金が流れていかない。
・喜んでもらおうと考えて商売していると、
最後は必ず人もお金も押しかけてくる。
致知出版社様メルマガよりシェアさせていただきました。
押忍!
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