晩年になるほど執筆や子弟教育に
打ち込んでいった幕末の儒官・佐藤一斎。
その学問の広さは、多くの弟子たちを
輩出したことからも窺い知れます。
直接の教えを受けてはいないものの、
明治維新の立役者の一人、西郷隆盛もまた、
佐藤一斎に大きな影響を受けた一人でした。
致知出版社の人間力メルマガ 2019.1.28
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疋田 啓佑(福岡女子大学名誉教授)
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深尾 凱子(読売新聞社社友)
※『致知』2019年2月号
※特集「気韻生動」P64
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【疋田】
昌平黌の佐藤一斎門下からは数々の逸材が誕生します。
佐久間象山や渡辺崋山、横井小楠、山田方谷などは
陽明学者としてよく知られていますが、
表には出ていない朱子学者もたくさんいます。
このことも一斎の学問の広さを物語っているように思うのです。
【深尾】
佐久間象山や渡辺崋山は幕府から睨まれて
最後には非業の死を遂げていますね。
「蛮社の獄」の時、一斎は崋山を擁護することを
しなかったというので、ドナルド・キーンさんは著書
『渡辺崋山』の中でそれを批判的に書いています。
【疋田】
一斎は幕府の儒官という立場があったわけですから、
それもある意味仕方がなかったのかもしれません。
大塩平八郎が本に序文を求めた時も、返事すらしていない。
『言志録』の中に、「分を知り然る後に足るを知る」
という言葉がありますが、自分の分、
立場を弁えることが一斎の信条だったのでしょう。
【深尾】
一斎の直接の弟子ではありませんが、
昨年、NHK大河ドラマになった西郷隆盛も
一斎の影響を受けた一人ですね。
『言志四録』に収められた1133条の中から101か条を選び
「手抄言志録」として座右に置いています。
【疋田】
ええ。例えば「手抄言志録」の第2条に『言志録』の
「凡(およ)そ事を作(な)すには、
須(すべか)らく天に事(つか)うるの心のあるを要すべし。
人に示すの念あるを要せず」
を採っています。
これは『南洲翁遺訓』にある
「人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして己を尽くして人を咎(とが)めず、
我が誠の足らざるを尋ぬべし」
という言葉と符合します。
それを端的に集約したのが「敬天愛人」の四文字です。
【深尾】
そう考えると、西郷が一斎にどれだけ
大きな影響を受けたかがよく分かります。
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押忍
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