小林正観さんの心に響く言葉より…
私たちは「喜ばれる存在として生きる」ために生れてきました。
「喜ばれる存在として生きる」ことは、自分が達成目標を掲げて、そこに駆け上がったり、人より抜きん出たりすることではありません。
「喜ばれる存在になる」=「頼まれやすい人」であること。
人生の中に達成目標・努力目標はいりません。
頼まれて、こき使われて、疲れ果てて死ぬ。
これが人間の生き方です。
心から楽しくて幸せなのは、友人たちからたくさんの頼まれごとをして、「しょうがないなぁ」と言いながら引き受けていくこと。
頼まれごとが次から次へ来ている人は、それだけで人生が流れているということです。
頼まれたことをやっていて、こき使われて、疲れ果てて死ぬ。
それが人生のすべてであり、喜びです。
《私たちは「喜ばれる」ために生れてきた。「喜ばれる」とは、頼まれごとを引き受けていくこと。》
『脱力のすすめ』イースト・プレス
小林正観さんは、「頼まれごと」についてこう語る。(本書より)
『「頼まれない私はどうすればいいの?」と言う人がいます。
「頼まれる人はいいけど、私はなにも頼まれない。どうすればいいのだろう?」と。
頼まれない人は不機嫌な顔をしています。
人間の顔には表情筋が何十本とあり、不平不満、愚痴、悪口を話すときは、表情筋の三分の二を使っています。
その筋肉を使えば使うほど、どんどん険(けわ)しい顔になっていく。
怖い顔をして、不機嫌な顔をしている人には、とても頼みにくい。
頼まれるかどうかというのは、顔が命です。
口元が上がっていて、眉間にシワが寄っていない、顔全体がゆるんだ感じの人は、頼まれやすくなります。
同じようなことを三年間頼まれていると、「私はこういう人生なのかな」と思う瞬間が来ます。
それを「立命の瞬間」と言います。』
欽ちゃんこと萩本欣一さんは、「イヤなほうから幸運の矢が飛んでくる」という。
苦手な方から幸運の矢が飛んでくる、と言うことでもある。
これは頼まれごとを引き受ける状況と似ている。
多くの頼まれごとは、めんどうなことだったり、ちょっとイヤなことだったり、他の人が引き受けないこと、だったりする。
そんな頼まれごとを、文句や愚痴や泣き言を言わず、運命だと思って淡々と引き受ける。
すると、運がたまり、自分の生きる筋(すじ)が見えてくる。
たとえば、定年後、頼まれごとが多い人は幸せだ。
人から必要とされているからだ。
「頼まれない人は不機嫌な顔をしている」
頼まれごとの多い人生をおくりたい。
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押忍
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