明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…
先日、恐ろしいデータを目にしました。
「読書時間ゼロ」の大学生が過半数を超えた、というものです(第53回全国大学生活協同組合連合会による学生生活実態調査。53.1%が1日の読書時間を「ゼロ分」と回答)。
大学で教鞭をとっている者としてうすうすわかっていたことですが、数字を見るとやはり衝撃でした。
理系の学生が本ではなく論文を読んでいて、実験や計算に多くの時間を使っているというのならまだ理解できますが、文系の学生も本を読まないというのですから驚きです。
私は大学の講義のほか、一般向けの講演も行っており、幅広く質問を受ける機会があります。
メディアからの取材もあります。
そこで、本質的なものに触れる深い質問ができる人、表面的な部分にとらわれた浅い質問しかできない人がいます。
浅い質問には、「それはこうです」と答えて、はいおしまい。
簡単です。
そこからさらに話が広がったり内容が深まったりすることはあまりありません。
深い質問の場合は、こちらの頭も回転させなければなりません。
質問が刺激となって思考が深まります。
その答えによって質問者の考えも深まるし、実りの多い時間となります。
映画を見た感想やニュースに対するコメントにしても、聞く人が刺激される面白い話ができる人と、みんなが言っているような一般的なことしか言えない人がいます。
浅い人と深い人。
どちらの人の話を聞きたいか、聞くまでもありませんね。
では、その浅い・深いはどこから来ているのでしょうか。
それは一言で言えば、教養です。
教養とは、雑学や豆知識のようなものではありません。
自分の中に取り込んで統合し、血肉となるような幅広い知識です。
カギとなるのは、物事の「本質」を捉えて理解することです。
バラバラとした知識がたくさんあっても、それを総合的に使いこなすことができないのでは意味がない。
単なる「物知り」は「深い人」ではないのです。
教養が人格や人生にまで生きている人が「深い人」です。
深い人になるには、読書ほど適したものはありません。
本を読むことで知識を深め、思考を深め、人格を深めることができます。
たとえば西郷隆盛は「深い人」です。
西郷が生きた幕末・明治時代から人格者として慕われ、ものすごく人望がありました。
亡くなってからも多くの人が西郷に惹かれて研究し、時代ごとに評価されてきました。
現代も人気は衰えていません。
それでは、生まれたときから人格者で、「深い人」だったのかというと、そういうわけではないでしょう。
西郷は多くの本を読んでいました。
とくに影響を受けたのは儒学者佐藤一斎の『言志四録』です。
流された島でも、これを熟読し、とくに心に残った101の言葉を抜き出し、常に読み返していたと言います。
座右の銘としていた「敬天愛人」もそこから生まれたものです。
常に本を読み、自らを培っていったのです。
『読書する人だけがたどり着ける場所』SB新書
安岡正篤師の説く人物像がある。
それが、中国明代の儒学者である呂新吾(ろしんご)の名著『呻吟語』の中の一節にある。
「深沈厚重(しんちんこうじゅう) 是(これ)第一等素質
磊落豪遊(らいらくごうゆう) 是第二等素質
聡明才弁(そうめいさいべん) 是第三等素質 」
第一等の人物は、深沈厚重の人だ。
どっしりと落ち着いて深みや厚みのある人。
沈みとは、錘(おもり)や錨(いかり)のようにこれがなければ浮かび上がってしまうような重みのことであり、身を低くすることでもある。
威張らず、謙虚で、浮ついていなく、浮足立っていない人のこと。
第二等の磊落豪遊の人は、一見すると人物のように見える。
しかし、細部にこだわらない豪傑(ごうけつ)タイプの豪放磊落の人は危なっかしいところがある。
浮ついたようにも見え、どっしりとはしていない。
第三等の聡明才弁の人は、才気走って、ペラペラと弁が立つが、言葉が軽く、信用がおけない。
頭の良さをひけらかす人もまた、 胡散臭(うさんくさ)い。
深い人は深沈厚重の人。
読書を重ね、本を磨き砂として「深い人」を目指したい。
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押忍
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