昔ながらの学習法「素読」。
しかし、その素読が当時どのように
行われていたのかについては、
ほとんど知られていないようです。
連載「日本の教育を取り戻す」では、
素読の基礎知識がばっちり学べます。
致知出版社の人間力メルマガ 2019.1.16
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占部 賢志(中村学園大学教授)
※『致知』2019年2月号【最新号】
※連載「日本の教育を取り戻す」P128
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【教師A】
今回は「素読」という、昔ながらの学習法についてお話を伺います。
まずは素読の基礎知識をお願いします。
【占部】
では素読に関しての誤解や偏見を糺しておきましょう。
まず学習形態ですが、素読と言えば、師匠の声に合わせて、
子供たちが一斉に唱和する場面を想像しがちですが、
そういう指導は実際には行われていないようです。
【教師B】
そうですか。ドラマではそんな光景を
見ることがありますが、あれは創作ですか。
【占部】
そのようですね。辻本雅史氏の労作
『「学び」の復権―模倣と習熟』によれば、
江戸時代の教育は原則的に個別指導なのです。素読も同様です。
【教師B】
具体的にはどのように指導するのですか。
【占部】
例えば、『論語』を素読するとすれば、
師匠は机を挟んで子供と向かい合い、
「字突き棒」(30センチ程度の棒)で文章を指しながら音読する。
同じように子供は後に続く。これを「付け読み」と言います。
この「付け読み」が素読における最初の課程とされていて、
これを師匠の手助けなしで読めるようになるまで繰り返す。
(中略)
【教師A】
素読が出来るようになったら、
その先はどうなっていたんでしょうか。
【占部】
四書五経の素読が一通り終了したら、次のステップは、
「講読」→「会読」の順に進むことになります。
「講読」は「講釈」とも言い、
教師の指導のもとで章句の意味を理解していく学習です。
先ほどの集成館では素読科から講釈科に行くには、
年4回の試験、2年に1回の試験に合格する必要があったと言います。
「会読」は数人から10人程度のグループで
テキストを前に討議を深めながら探究する形態です。
大学のゼミナールみたいなものですね。
今般の新学習指導要領の目玉「主体的、対話的で深い学び」の
具体的な学びの姿がここにあると言っていいと思います。
【教師A】
そうすると、意味も分からないのに丸暗記を
強制するなんて非教育的だと非難する向きがありますが、
素読は学びの第一課程であって
自己完結したものではないということになりますね。
【占部】
その通りです。非難はまったく当たりません。
ただし、素読を称揚するだけで、その効果を活かす
第二、第三の課程を用意しなければ元も子もないことになります。
その点は注意すべきです。
致知出版社様メルマガよりシェアさせて頂きました。
押忍
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