浜松医科大学名誉教授、高田明和氏の心に響く言葉より…
禅の書に、「好事(こうじ)も無きにしかず」とか「無事是貴人(ぶじこれきにん)」などと書かれているのをよく見ることがあります。
一体、なぜよいこともない方がよいのでしょうか。
これは、「楽中苦あり、苦中楽あり」という因縁の法則にも関係しています。
若い時には不運に遭っても、それは借金を払ったのだ、これからうまくいくのだと思い、努力することも尊いと思えます。
また、成功が不運に通ずるということを身をもって体験することもよいでしょう。
しかし、晩年何かよいことが起こるということは、不幸が待ち構えているということです。
ない方がよいのです。
その方が心豊かに生きられるのです。
修養書を多く書かれ、今でも書店にその著作が多く並んでいて、その影響を受けた人が社会の上層部にたくさんいるという方がおられました。
この方も晩年は精神が錯乱し、最終的には座敷牢のようなところで亡くなられたのです。
これを知った方々は「どのような人が偉いというのかわからなくなった」と嘆いていました。
別の禅の大家は、激しい修行を指導することで有名でした。
ご自身も剣の道を究めようとされ、その指導もされました。
ところが、そのような方でも晩年の十年くらいは脳卒中のために四肢麻痺で、口もきけない日々を過ごすことになったのです。
剣で鍛えた体はなかなか衰えず、かえって長く苦しむ結果になったのです。
たしかに、このような方々の本を読むことでやる気が湧き、修行に進むことを決意した方も多くいると思います。
そのような点では徳を積んでいるのでしょう。
しかし、この事例はそのような仕事上、あるいは本人の修業上のことで徳を積むだけでは充分でないことを示しています。
このような方々も、身を慎み、大言せず、他人の批判をしないなどという日々の努力が必要なのです。
『困ったことは起こらない』きこ書房
「好事も無きにしかず」とは、良き事や目出たいことを否定するわけでなない。
良き事や目出たいことに執着するな、ということ。
たとえば、宝くじで大金を当てた人のほとんどが不幸になっているという事実がある。
周りからの嫉妬を受けたり、浪費癖がついてしまったり、身を持ち崩してしまったり…。
だから、安易な好事は無いほうがいい。
本を書いたり、講師になったり、人を指導する立場になったりすると、どうしてもそこに慢心が生まれやすい。
偉そうになってしまう。
順調なときほど、落とし穴があり、ひっかけ問題もある。
すなわち、「好事魔多し」。
好事の時にあっては、 幸田露伴 の言う、「惜福、分福、植福」の三福が有効だ。
惜福とは、福を使い尽くさないこと、惜しむこと。大事に使うこと。
分福とは、まわりのみんなに福を分けること。
植福とは、福の種をまき、その木を植え、子孫(後世)にその果実を残すこと。
いくつになっても身を慎み、徳積みをする人でありたい。
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