商人が商人として立派になろうとするには、
人として立派なことをすることを
世渡りの方針にしなければいけない
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新渡戸稲造の『修養』の中に出てくる話である。
新渡戸稲造が人を使っているころ、
お金を与えるとすぐに使ってしまい、
いつも貧乏していて、
破廉恥罪を犯さなければいいがと心配するぐらい、
金を浪費する人がいた。
間接的に忠告しても、
「今の月給では貯めたところで知れている」
「もう少しもらわなければ貯金する余地がない」
などと繍(うそぶ)く。
しかし、そういう人に月給を増してやっても、
ますます使うだけであって、
今まで2円の料理で済んでいたのが、
今度は3円のものを食うようになる。
すると、月20円ぐらいの借金だったのが、
給料を上げると50円ぐらいの借金に
増えてしまうかもしれない。
だから結局、給料を上げないほうが
いいと思うようになる、と新渡戸はいう。
それに反して、給料はわずかでも、貯金するとか、
親に送るとかする男は、金を生産的に使うから
必ず雇い主の好意を得て、長い目で見れば地位が上がり、
それとともに給料も上がるようになる。
こういう風に、真面目に自分の職業を勤める人は、
たいがい自分の職業以上の思想を養うようになるものである。
つまり、単にそのときだけの職業で終わるのではなく、
その上のところに高い目標を置くようになる。
職業以上の高いところに目標を置かない人は、
余裕が乏しくなるように思われる。
だから、商人が商人として立派になろうとするには、
一歩進んで人として立派なことをすることを
世渡りの方針にしなければいけない。
商業と道徳は相容れないものなのだと考えてはいけない。
人として立派になるように努力する姿勢が仕事上の成果を導く。
商業と道徳は深くつながっているものである。
これは洋の東西を問皇仕事で成功しようと
考える人にとっての真理であるといっていいようである。
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押忍
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